日本人の嗜好をさぐる④ うどん旅ふたたび


恋川春町の黄表紙に
うどんそば 化物大江山
に現れる「うどん童子」。
かなりキャラがたっています。
饂飩という漢字…
中国渡来の「餅(ピン)」が、
どう「うどん」に変化したのか?
清の時代に書かれた書物に
水引餅というのがあり、
小麦粉をニラの葉のように
薄く手延べしたもの。
スープに入れて茹でたとか、
ワンタンのようなものでした。

『守貞謾稿』にある けんどん屋
看板には「うどん」の文字。
なぜ饂飩になったかは諸説あって、
言葉による派生なのか?
太切りの熱湯つけ麺の
温飩」からの製法と
食べ方による起源説が、
甲乙つけがたいのです。

『守貞漫稿』
饂飩屋の記述によると…
江戸も初めはそば屋はなく、
そば屋が登場するのは
元禄に入ってからです。
幕末の江戸では各町に
1店はそば屋があったとか。

浮世絵の世界は江戸を描くものが
多いのでほとんど浮世絵には、
うどんは登場しません。

うどんが描かれるのは、
蕎麦よりずっと古く、
こちらは絵巻物『慕帰絵詞』。

ここにも うどんが見られます。

こちらは《金毘羅祭礼図屏風》の
一場面でして右隻の屏風に、
3軒のうどん店がみえます。
店の軒先には「招牌」、
しょうはい と読み今で言うと
のれん」のようなもの。

こちらの店では「捏ね」。

《日本山海名物図会》より

畿内では大和三輪素麺ですね。
 
日本の麺食文化のルーツは、
素麺に至ります。
そして素麺を遡れば、
大和三輪の手延べそうめんへ。

《五畿内産物図会》より三輪素麺・
宇陀芋・瓜・帯解地黄煎


揖保も小豆島も長崎の島原も
ルーツは三輪素麺と言われます。
室町時代には女官たち、
素麺のことを「おぞろ」と…
「おぞろ」は素麺を一本の箸で
掬い取り、折りたたみ重ねる。

《職人尽歌歌合》より

大神神社への奉納
そうめん踊り」があり、
夏の終わりの感謝祭とか…

イマドキの うどんキャラ、
ツルきゃら うどん脳」。
饂飩の事しか考えてないのか、
ド天然な性格
饂飩を食べている時と、
寝ている時だけ
静かにしていられる。

他人と思えない…
虎次郎も饂飩ずきです。

コロナサバイバル
なかなか秀逸であります。

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