日本人の嗜好をさぐる⑦ 鯨飲馬食
《大日本物産図会》より
壱岐国鯨漁之図
中高からの連中はとにかく
「鯨飲馬食」です。
「大食い大会」に出たら、
おそらく入賞は間違いなしです。
「大食い」ってのは、
江戸時代の「鯨飲馬食」という
言葉が広まり始めたのは、
寛政や天保の改革のころ…
年貢の徴収が厳しく、
軽々な幕府批判も控えられ、
閉塞感が支配していた日々。
そのカタルシスが、
「大食い大会」でした。
《大酒大食会絵巻》より飯の組
こちらは200年前の
大食い大会を描いた絵巻。
蕎麦の組…
出石の皿そばより大盛りだ。
榊原文翠という、
画人の筆によるもの。
《近世奇跡考 酒戦図》より
このようにリバースしては
いけません(T_T)
《古座捕鯨絵図》「座頭ハナ切テイ」
勇魚文庫 蔵
「鯨飲馬食」に戻ります…
鯨飲は中国盛唐の杜甫の
「飲中八仙歌」に因みます。
8人の酒豪の飲みっぷりを
「飲如長鯨吸百川」と形容、
「鯨が100本の川を
飲み干すようだ」と。
《千繪の海 五島鯨突》葛飾北斎
大食いの象徴の鯨ですが、
実際のところはどうなのか。
東京海洋大学の
加藤秀弘教授によると…
「ヒゲクジラが餌を取るのは
1年のうち3カ月だけ。
それ以外は絶食している」とか。
《山海愛度図絵 平戸鯨》
歌川国芳
日本では鯨のことを
"久知良" と表していたそうで、
鯨という字は中国から
伝わったもので、
"京" には大きいとか強いという
意味があるので、
字面からも豪勢だと歓迎。
満腹から程遠い時代の、
憧れの世界観が重なった、
そんな事情があったようです。
《捕鯨之図》歌川国芳
日本人の鯨食文化は、
1970年ごろからの捕鯨問題で
大きく変化しました。
少なくとも縄文時代から、
流れ着いた寄り鯨を
「海からの恵み」
としていました。
『勇魚取絵詞』より
小学生のころに舐めた
「肝油ドロップ」。
敗戦後の食糧難を救ったのは、
鯨であったことは間違いの
ないところです。
『勇魚取絵詞』より
働いて間もなくして、
上司に連れてもらった
"おでん屋"さん。
「コロ」というものを食し、
そのあと「おばけ」…
どちらも日本酒に必須です。
生肉類の保存技術が進んで、
いろんな部位が楽しめる
時代になっていますね。
長崎で頂いた鯨肉たち。
《目出度図絵 壱岐くじら》
歌川国芳
『日本山海名物図会』には、
ざとう・小くじら・まっこう・
せみ・ながせの5種が
ありとされていて、
"ながせ" は見つけても
捕らぬのが鯨とりの
作法と書かれていいます。
ながせ とは
ナガスクジラのことです。
《大漁鯨のにぎわひ》歌川国芳
江戸では年末12月13日の
「煤払い」の後に
塩蔵した鯨の皮の入った、
鯨汁を食べることが習わしとか。
《木曾街道六十九次 塩尻》
歌川国芳
飽食の極みも相まって、
大食いは否定的ですね。
鯨は食べた分をしっかり
消化しきって次の食事に、
馬も運動量に見合った分の
食事しかとらない。
リアルな「鯨飲馬食」を
心がけたいものです。