大坂の伝統野菜たち⑥ 天王寺蕪


日本山海名物図会 》より天王寺干蕪

名物や 蕪の中の 天王寺
与謝蕪村の詠んだ句。
蕪が地面から浮き上がった
ように成長することから、
天王寺浮き蕪」とも…

天王寺蕪の種を持ち帰った
長野野沢温泉村の
薬王山健命寺の八代住職
昇天園端大和尚が
京都遊学のときに、
浪速の地に立ち寄り、
天王寺蕪の種子を持ち帰り…

四天王寺の中心伽藍、
五重塔や金堂を臨む
野沢菜原種旅の起点」の碑
碑石が立てられたのは、
野沢温村制施行の
60周年にあたる年のこと。
北信濃 野沢温泉では…
蕪ではなく葉がメインに
野沢菜になったと…

野沢温泉村周辺では、
種子の純粋性を保つため、
油菜種などとの交配を避け、
雑種が出来ないように
努めてきたそうです。

ただ…野沢菜のルーツは、
信州に古くからあった
ヨ-ロッパ型のかぶと
自然交雑した説もあるとか

《蕪図》 雪村

すずな、かぶら菜と呼ばれ、
蕪は葉を食するのは、
古くからのことで…
今でも大根でなく蕪を
葉を落として売ることは、
あまりみかけません。

玄圃瑤華》より

伊藤若冲が描いた蕪。
拓版画と呼ばれるもので、
玄圃(げんぽ)とは
「崑崙山にある
 仙人の住む理想郷」、
瑤華(ようか)とは
「玉のように美しい」の意。

玉蜀黍と甲虫

瓢箪と蜂

《蕪に双鶏図》
 伊藤若冲


鶏の好きだった若冲、
蕪との組み合わせの本図は、
2019年に初公開されたもの。
最初期の彩色とみられています。

野菜青物尽絵合せかるた》より

蕪には関が原を境に、
東西に違いがあると
言われています。
中国渡来のアジア型が西、
東日本は朝鮮半島伝来の
ヨ-ロッパ型とか…
まさに天下分け目
"かぶら・ライン"が、
関ヶ原に引かれるそうです。

本草図譜』より からしだいこん

江戸時代末の植物図譜のひとつ、
幕臣の岩崎灌園の著作。
「下野古河の産なり
 葉は ふゆだいこん の如くにて
 根円くして短く
 天王寺かぶ の如く
 味は辛辣なり」

《紙本墨画果蔬涅槃図》
 伊藤若冲


若冲の野菜の絵といえば、
「果蔬涅槃図」を
忘れてはなりませんね。
蕪はいくつか描かれていて、
天王寺蕪とも聖護院蕪とも。
京の錦の青物屋の家
生まれた若冲だから…
聖護院蕪に違いないと、
思いたいところだが…

《蕪図》伊藤若冲


京都府園藝要鑑』には
「聖護院蕪菁は
 享和年間聖護院の
 農伊勢屋利八なるもの
 近江國堅田地方より
 近江蕪菁の種子を求め
 之を試作せしに
 地味之が生育に適し。」
若冲の時代には聖護院かぶら は、
まだ売られていなかったのです。

日本山海名物図会 》より近江かぶら

『農業全書』蕪の条には、
「京へ江州よりおほく出るあり。
 極めて味よし。」
おそらく近江か天王寺の蕪が、
大根の涅槃に付き添ったのです。

本草図譜》より

本草図譜をみると…
天王寺蕪は小さい。
四天王寺僧坊を支え、
天王寺村では広く
栽培されていたが、
虫害などで明治後期に、
ほぼ姿を消したのだとか…


※ 椙山女学園大学 教授 伊藤信博さんの
「「果蔬涅槃図」と描かれた野菜・果物について」を
  参考にしました。

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