ライオン橋

ライオン橋。。
本当の橋の名は
「難波橋」。。。
  といっても
難波にある橋ではない。
最寄りの駅は「北浜」で
1915年に完成した。
戦争中に失われた
欄干や照明灯が
復元されたのが
 1975年のこと。









4本の親柱にはそれぞれ 天岡 均一 さん
ライオンの像が睨みをきかせている。

左が阿形で右が吽形、
狛犬とか仁王門などにみられるカタチ。
沖縄のシーサーもおんなじだ。

実は阿吽の獅子像
日本では当時のハヤリでもあったようで、

1909年(明治42年)
     に開館された
旧東京帝室博物館
   「表慶館」にも。
1911年(明治44年)の
東京の日本橋 獅子像も
  アウンのカタチです。

「表慶館」の緑のライオン





この「難波橋」には古典様式というがここかしこに
      散りばめられている。
古代ギリシアの神殿建築が原型となる
 「 ペディメント (pediment) 」
「みおつくし」をブランドロゴのように抱える。
切り妻屋根の「妻」の三角形の部分のことで、
日本建築の「破風(はふ)」に相当する。
「破風」とは昔のお風呂屋さんの入り口の形。


















メダルを思わせる円形の浮彫りも見られるのが
「メダリオン」で建築のゆえんのある
モチーフが図案化され装飾のポイントとなっている。













照明灯の下の部分にある装飾は船をつなぐロープのよう。
アーチ状のポイントにも(ふさ)のようなものもある。




















橋の中央にある、バラ園へ降り立つ
階段と踊り場はステージのよう。
建築家が橋の意匠をてがけたおかげで、
今でも市民から人気のある橋となっている。

デザインの担い手は
帝国奈良博物館
 (奈良市、1894年、現 奈良国立博物館)や
柴島浄水場第一排水ポンプ場
 (大阪市、1914年、現・水道記念館)を手がけた
宗 兵蔵(そう ・ひょうぞう)という人。
関西を中心に多くの建築物の設計を手がけた
          関西建築界の重鎮。

「手塚山通信」でなんども紹介している
「みおつくし」マークの欄干はこの橋だ!!



















 池田 遙邨
「 雪の大阪 」
   (1928) (部分)








天岡 均一 (あまおか・きんいち)
 (1875~1924)  彫刻家。三田市屋敷町に生まれる。
 東京美術学校(東京芸術大学)彫刻科出身。
 古い神社や国宝級の仏像をたくさん修理する。
 難波橋のライオンはときの大阪市長である池上四郎から
 依頼されたものだといわれている。
 大の酒好きだったと伝わる。



←2008/11/22 
 みどりのライオンで「虎の鏡を作る?」


←2007/01/29 
 
雪の大阪




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