虹の松原を臨む 唐津天守より

秀吉の飽くなき野望と言われる朝鮮への侵略戦争、
文禄・慶長の役(1592~1598)の拠点であった
肥前名護屋城」は唐津城にほど近い
唐津市鎮西町名護屋というところに位置している。
わずか5ケ月で築城された名護屋城は、
秀吉の権威の象徴であったが故に、
関ヶ原の戦後は廃城後石垣までの取り壊しとなった。
解体資材を用いて築城されたのが「唐津城」。
ただこれまでのところ、天守台はあったものの
天守閣の存在を示す資料は発見されておらず、
いわゆる昭和に作った「模擬天守閣」なのである。
なんと「斜行エレベータ」ってのもあって、
100円なのでネタ的に乗ってみた。
帰りは石段を降りたのだが...
そんなに距離があるわけでもなく。
せめてエレベータから外が眺めればよかろうに。
築城400年となる城内ではいろんなところで、
石垣の修復工事が行なわれていた。
2016年までの期間で市が約15億円をかけ、
本丸を囲む石垣のうち約7割を修復するのだという。

天守閣内に入ると城キャラが迎えてくれる。
唐ワンくん」に「舞ヅルくん」
そして階段には唐津焼調のタイルが取り囲む。
最上層に上がると絶景この上ない。
西には日本三大松原の “虹の松原” 。
唐津湾内の高島と鳥島。
そして東に目をやると、西の浜海水浴場が広がる。
高校の修学旅行で唐津で昼休憩したときに、
ここで地引き網をやったのはここだと思い出す。
唐津城本丸がある山は、
虹ノ松原から続く砂州によって陸繋島となっていたが、
この結合部分で切り離されていて、
城を中心に鶴が羽根を広げたように見えることから、
舞鶴城」と呼ばれる...だから鶴キャラなのか。
眼下には学校の敷地が見える。
実はここは2010年に開校した
大隈重信の生誕の地に開設したもの。
もともとは佐賀県立唐津東中学校・高等学校とか。
唐津市街にはここかしこに城下町の風情があちこちに。
現存する武家屋敷門とかで、慶長年間のもの。
「二ノ門外堀」とか。三ノ丸に住む藩士は、
この堀を渡って藩庁に出仕したそうです。
二ノ門沿いの「時の太鼓」
「旧唐津藩藩校中門」とか。

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