「赤い旋風」にトリコ?

「赤い旋風」の太平洋クラブユニが遂に登場。
始球式を務めた東尾修さん。














1969年から1970年にかけて
球界を襲った「黒い霧事件」で、
西鉄がライオンズを、
東映がフライヤーズを手放した時代。

福岡に「我がライオンズ」を残すために、
チームを維持したのは
個人所有の
福岡野球株式会社が母体であったという。
実は「太平洋クラブ」と言う名は、
当時ではそうとは認識されていなかった
ネーミングライツでの球団名だったようだ。

1976年には背番号が胸にも付く、
チーム名なしのユニが飛び出し、
「ユニフォームからネームを外して
 番号をつけたのは、
 球団身売りへの準備ではないか」
   揶揄されることがあったという。



















実は太平洋クラブとのスポンサー契約は3年間。
契約期間中であったにもかかわらず、
スポンサー料が滞ったたから胸から
スポンサー名が消えたという話もある。
親会社が広告としてユニを使わないなんてことは、
ありえないからちょっとリアルな話なのかも知れない。


太平洋クラブ時代の帽子マークは、
実はLCとTの2種類があった。
今回採用された白地に赤のツバに
太平洋クラブの青が目立つ「マルT」
細かくTAIHEIYO CLUB LIONSと
まさしく社章を頂いたのだろう。


復刻ユニをどのモデルを採用するかは、
前回の西鉄とくらべてオールドファンの
なかでも意見が二分されていたようだ。
もっと強烈にピンクユニでもって話も。。。

派手なユニは実はチーム事情の裏返しであった。
わずか4年間の間に何度もデザインが変わったことは、
まさにデリケートな時代の復刻だからやむを得ないか。


基本は「赤」でありながら、
アンダーシャツに
ストッキングとベルトは「青」。
「白」がベースなのでユニも
ある意味「トリコロール」か?

実際にブラウン管に映し出された
ライオンズ・クラシック 2010
初戦先発の
帆足の
ユニ姿を見るとちょっと違った印象。
少しは着こなせる時代になったのかとも思えるが。




















「パ・リーグ苦難の時代」と銘打たれた
オリックスとの対決は乱闘騒ぎまであった。

「試行錯誤」を続ける
  パらしいゲームだった。


 

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