サッポロの旅 ポプラ並木

北大のポプラ並木
大学の構内にある並木道。


前身の旧札幌農学校の農場内に
実習用に植えられたのが始まりで、
樹齢約100年にもなるそうです。

ポプラは、ヤナギ科ヤマナラシ属の 総称。
雌雄異株で春に花を咲かせるそうです。

























実は1959年に台風で
5本のポプラが倒れるなどして
無惨な姿になったことがあるそうです。



札幌市立桑園小学校5年生の
女子児童 が北海道知事にあてた手紙に
「私たちのポプラがかわいそうです。
 植え直してください。」
とあったそうです。


残念ながら2004年の台風18号でも
半数近くが倒壊してしまいました。
永らく「立入禁止」になっていたようですが、
近年 再整備されサッポロの風景は健在でした。


ウッドチップが敷かれ散策路のなかには、
クロユリの群生地が復活していました。
昔は北大のキャンパスにはたくさん
咲いていた花だったようで、
北大美術部の名は 「 黒百合会 」
名付けられています。






















時計台にもクロユリが花を
咲かせていました。
「恋の歌のクロユリが咲いてますよ
」って

なんのことがわかりませんでしたが、
1954年に 織井茂子 さんが
歌った「黒百合の歌」のことだと、
あとでググったらわかりました。


ポプラ並木の手前にあったのが、
” I wish to be a bridge across the Pacific ”
「願わくば われ 太平洋の橋とならん」
という言葉を残した 新渡戸稲造 像。























戦前の日本を代表する国際人・教育者。
樋口一葉に変わるまでは
「五千円紙幣」の肖像。


1881年に北海道大学の前身である
札幌農学校を卒業。
開拓使御用掛に席をおき
黎明期の北海道開拓に尽力しました。
その後、あらためて東京大学に入学。
アメリカ合衆国やドイツで見識を広めた国際人。


帰国すると母校の札幌農学校の教授として赴任。

1891年から7年間、
当時閉校の危機あった札幌農学校の
立て直しと学制改革に取り組み、
後の北海道大学の基礎を築かれました。

  

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