2009年11月29日日曜日

庶民の信仰  円空・木喰展を観る


























藤末鎌初の時期に隆盛をみた仏像彫刻。
偉大な作品を追いかけるというのが、
江戸時代の仏像表現のカタチでありました。
全国を巡る行脚僧として布教とともに、
各地に残した
円空 (1632〜1695) と
木喰 (もくじき)(1718〜1810) の足跡。


はじめてゆっくりと
見る機会を得ました。
円空木喰もいわゆる
パワーヒッター
確認されているだけで
円空仏は5,340体。


「不動三尊」
 清瀧寺(栃木・日光)

























円空
左:「聖徳太子」
右:「鬼子母神」
   ともに 中観音堂(岐阜・羽島)


一方、木喰は62歳で初めて造像。
生涯で2,000体余りの「ほとけ」たちを
世に残したと言われいます。

















木喰
左:「自身像」 東光寺(兵庫・川辺郡)
右:「三面馬頭観音菩薩」
        寳生寺(新潟・長岡)
 

いいように言えば円空風仏像。。。
骨董として高値取引されているものも
贋作も数が多いもの
円空チックなものが
最近は溢れています。
かなりの専門家でないと
真贋のほどはわからないと言われています。


円空は木片や川の流木、
ときにはお墓にある戒名を書く板
卒塔婆(そとば)なんかも、
その創作の場を求めていますから、
荒々しくも自由奔放で
力強い鑿
(のみ)あとに、
円空の想いを
どう当時の人たちが感じていたのか。
とても興味のある存在でした。
約200点のこの展覧会はまさに
千載一遇の機会となりました。

ところでこの円空木喰ですが、
この二人には出逢いがあったのかという点。
北海道の太田権現で
円空
出合った感動によって
木喰
造像を始めたという論があったようです。

だが円空学会と全国木喰研究会の
小島梯次
氏によると、
木喰円空の群像がある
高山市丹生川町・袈裟山 千光寺
おとずれたことがあったそうだが、
わずか1日の滞在でしたし
筆まめの木喰にしては当時の記録にも、
「円空」の文字は一切でてこないのだそうです。

おなじ庶民信仰の仏師であった二人で、
ほぼ同時期を生きた二人であったが、
直接の関係はなかったということなんだそうです。



木喰の「ほとけ」は「微笑仏」と呼ばれます。
円空との対比がとても面白い。
ほんとそばにいるような存在であったのだろうと
思えました。

それとこの木喰は45歳で木食戒を受け
56歳の時に廻国に出てはります。
廻国の範囲は広く全国に及んでおり、
木喰が足を踏み入れていない地は
沖縄だけなんだそうです。
文化7年、93歳で入寂、
それがどの地であったのか定かではありません。


















木喰
右:「千手観音菩薩」
左:「十一面観音菩薩」
   ともに 寳生寺(新潟・長岡)


ホッとする瞬間
 心の洗濯のひとときとなりました。

作品の多く
凝縮されすぎていたように思いましたが、
それだけ充実した展覧会がデパギャラ
行われるようになったことは喜ばしいことです。