2009年11月29日日曜日

六波羅を探題する!















踊り念仏で知られる市聖(いちひじり)であり
空也(くうや)が951年(天暦5年)に
造立した十一面観音を本尊とする道場に由来する。
六波羅蜜寺ではじめて空也に会って来た。




















仏様の境涯に到るための修行には、
布施」「持戒」「忍辱」
「精進」「禅定」「智慧」

     という六つの修行があり、
これを実践しどちらにもかたよらないことを
「波羅蜜」というそうです。
これらの修行をバランスよくたもつことで
仏様の境涯に到るといわれています。

















教科書にもでてくる「空也上人立像」
念仏を唱える口から現れた六体の阿弥陀は、
「南無阿弥陀仏」を現わすと言われる。


ただ鎌倉時代には弾圧を受けていて、
「モーダナンマイトー」
「ノーボーオミトー」

聞かれても分かりにくいように
唱えられていたたようだといいます。
二つに分けられているのは、
いつでも止められるようにと、
弾圧から逃れるための名残りと
     言われています。


その空也の没後のこの地は、
いわゆる政治の表舞台としての
存在を担って来た。


承久の乱後の京の警備や
朝廷の監視するため、
平清盛邸を
改築して役所にしたのが、
「六波羅探題」
始まりと言われている。


「平清盛坐像」






源平両氏の興亡、
北条氏、足利氏の兵火に幾度と
見舞われたが、
源頼朝、足利義詮、豊臣秀吉、
徳川代々将軍の信仰をあつめた地であった。


宝物館には
鎌倉彫刻の祖でもある
運慶の坐像もあった。

十輪院が運慶一門の
菩提寺でも
あったことから、
運慶の長男である
湛慶(たんけい)」の
座像とともに脇侍のように
祀られたいたのだという。