2017年11月16日木曜日

京都特別公開2017秋 海住山寺①


興福寺の奥の院とも呼ばれた
海住山寺(かいじゅうせんじ)へ。
第53回 京都非公開文化財で、
補陀落山にある五重塔に
お会いすることができました。

JR加茂駅から朝一本の直通バスは、
満員で+お寺のマイクロバスを
お寺の方に走らせておられました。

文化財保護特別協力号
マイクロバスにて…

眼下に広がる盆地は
「みかの原 わきて流るる泉川
 いつみきとてか 恋しかるらむ」
詠われた「みかの原」の地。
かなり急峻な坂を昇り降り、
バスのありがたみを感じました。

鎌倉初期に興福寺におられた
解脱上人 貞慶(じょうけい)が再興。

「観音寺」と称していましたが、
観音の誓願海に安住するという
意味を示す「海住」、
観音と共に大慈の行を
 実践したいという」上人の
思いが結実した寺号です。

特別公開は五重塔、本坊、本堂。

現存する鎌倉期建立の
唯一の五重塔は国宝。
総高17.7mで、
室生寺に次いで小さいもの。

貞慶が舎利安置のため建立、
没後 建保2年(1214)に完成。



心柱が初重の天井上から
立てられているので
心礎がありません。

吹放ちの裳階(もこし)と呼ばれる、
初重に設けられていて、
安定感を与える姿をみせています



初重内部の四天柱内の
須弥壇に四方の扉構え。

慈心上人伝来と伝わる
仏舎利が祀られていました。
 
そして扉絵には梵天(左)、
龍王 など華麗な彩色で
描かれています。
そして四天王立像…
 
持国天と多聞天

広目天と増長天

仏舎利は釈迦の遺骨のこと、
聖徳太子のころは
「仏舎利を塔に
 奉安することにより
 国は自ら厳清になる」
とされていた時代から、
伽藍における塔の地位は低下し、
中枢から離れた場所に置かれます。

仏舎利よりも初重に安置される
仏像へ重きが置かれるよう
塔の形式化がみられてきます。

そんな時代の海住山寺五重塔、
心柱が初重の天井上から
立てられていて心礎はありません。
ただ初重の内陣は四方とも扉構え、
大きな厨子のように造り、
実は初重内部の厨子状の造りは
現存する塔には他例がなく。
また、
仏舎利そのものを塔の本尊として
祀った例もありません。

塔の解体修理工事に従事された
国立歴史民俗博物館
名誉教授である濱島 正士さんは、
「仏舎利を釈迦

 そのものとして信仰する
 貞慶の考えを表している。」と。
現存する五重塔では
室生寺五重塔に次いで小さい。
そのことも仏像を塔に
安置しないためである、
そう意図したのかもしれませんね。


「海住山寺 五重塔」
 国宝(鎌倉時代)

※このブログは濱島 正士さんの
海住山寺の五重塔について その一
  ~解脱上人と五重塔~を参考にしています。

※仏像、内陣などは
「海住山寺の美術」(2013) 海住山寺 による。