2016年7月6日水曜日

ひろしまのへいわ① 時代に架かる橋たち

広島駅からチンチン電車に乗ると、
一番初めの電停が「猿猴橋町」。
猿猴とは河童のことだとかで、
登場する民話が
中国四国にはあるそうです。

背は子供並みで、
手は長く猿に似ており、
頭上に水皿を持つ…
相撲好き、いたずら好き、
人に化けたりするが、
たまには人助けする。

西国街道に架かる「猿猴橋」、
旧くは広島の「東の玄関口」。
明治のころは木橋、
そして大正14年には、
鉄筋コンクリート連続桁に。

総花崗岩造りの高欄、
巨大な親柱・束柱も備わって、
重厚な軍都 廣島の象徴でありました。

今年被爆70年ということもあって、
3月28日に往時の姿に甦りました。

地球儀をつかんで羽ばたく大鷹。

束柱にも照明燈が備えられました。

戦時中の金属類回収令で、
ブロンズ像や猿と桃の欄干など
金属装飾は、
供出されてしまったそうです。

「被爆に耐えた装飾的橋梁」は、
土木遺産に選奨されていました。

もとの親柱などは、
保存移設されていました。

平和大通りに架かる「平和大橋」。
名称は一般公募に1951年に
決まったものですが、
設計のイサム・ノグチさんの
もとの名付けは「いきる」だったとか。

生きるという映画の公開あり、
「いきる」から「つくる」にしたとか。
東側にある「西平和大橋」は、
広島の悲劇の経験よさらばで、
「ゆく」と命名されています。

こちらは「元安橋」。

そして…
原爆投下の目標となったのが、
T字型に組み合わされた相生橋」。

明治のころはく字形の木造橋、
昭和の初期に電車併用の鋼鈑の桁橋、
その後変形H字形だったそうです。
南側の木造橋が解体され1939年に、
「T」字になったのだそうです。

すさまじい衝撃波で橋桁は変形、
北側の欄干は川に落ちたそうです。

炸裂した一分前には
誰もが戻れないからこそ、
今日を大事に、
そして明日を生きねばなりません。

※このブログは 猿猴橋復元の会のHP
広島市 HP
     平和大橋・西平和大橋の欄干について
を参考にしました。