ひろしまのへいわ⑤ 聖堂の秘蹟


聖堂の外壁の素材として
使われているのは、
「広島の土砂を日かげ干しして
 固めた灰色の煉瓦」
なのです。

その壁面には、
極めてシンプルな十字架…
なんと下部は「欄間型格子」。

ところで
世界平和記念聖堂」という名、
実は正式名称が確定したのは、
完工まもない1954年7月のこと。

「平和記念聖堂の上にかぶせる
 広島と世界では言葉の構造が
 基本的に異なる。」


“Peace Memorial Cathedral of
Hiroshima” ではなく、
“Memorial Cathedral for
World Peace”
と…
英語表記なるとよくわかります。

正面ポーチに突き出した壁面、
その下部の欄間型格子の彫刻は、
竣工当時には完成してなく、
1955年ごろのには写っていません。

制作されたのは、1956年の、
6月から8月にかけての暑い時期。
村野の友人である
今井兼次さんによって構想され、
彫刻家 武石弘三郎さんによって
模型が制作されたそうです。

その原型をもとに
彫刻家 圓鰐勝三さんと
坂上正克さんが、
現場で制作されたそうです。

後に圓鍔さんは、
日本を代表する彫刻家となる人で、
出身は広島県御調町だそうです。

彫刻は七つあり、
テーマは「七つの秘蹟」。
これは「洗礼の秘蹟」。

左から
「ゆるしの秘蹟」「堅信の秘蹟」

「病者の塗油」
聖油をいれる壺、
そして十字架にストラと呼ばれる
祭服がかかっています。

圓鍔さんは、その作品集である
『円鍔勝三彫刻集』の中で、

「最後に村野先生がお越しになって、
『彫刻を入れてよかった、
 やはり入れてよかった。』

 おっしゃった時は、
 正直重荷を降した思いでした」と、
振り返っておられます。


※世界平和記念聖堂のブログは、
広島大学工学部教授 石丸紀興 著
世界平和記念聖堂―広島にみる村野藤吾の建築
相模書房 1988年 を参考にしています。

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