ヘタウマ 仙厓さん
仙厓さんの絵は
巧いのか
下手なのか・・・
『曲芸図』
少し前に。。。
2003年に福岡市立美術館の 中山 喜一朗 さんが
出版された
『仙厓の○△□—無法の禅画を楽しむ』を求め、
楽しんで読み終えた。
『曲芸図』の絵はその本に紹介された絵だ。
そもそも虎次郎が仙厓さんに執心?するようになったのは、
昨年 東京の出光美術館で出会った「龍虎画賛」
というマンガチックな虎の絵。
あらためてその時に買い求めた絵はがきも、
禅画の蘊蓄なんて。。。と楽しめる逸品だ。
「ヘタウマ」というコトバがある。
あくまで俗語だが
「一見(一聴)するとへたそうだが、
個性や味のある作品のこと。」
日本俗語辞典というサイトによると、、、
1985年頃から使われるようになったとか。
仙厓さんの絵を「ヘタウマ」といってしまっては??
というのはあまりに俗っぽくてと思われる。
オトナ。。いや美術を学んだ者。。。
でもでも仙厓さんの作品を見れば観るほどに、
そんな堅苦しい解説を仙厓さんは求めていたのかな、
なんて思うようになった。
仙厓さんの『曲芸図』には美術的技術論での
蘊蓄を続けることができる要素を持つ。
つまり仙厓さんは巧いんだということ。
中山 喜一朗 さんの著書からの引用を紹介する。
「構図という観点でみると、
大小の三角形を構図がおもしろい。
これは、観る者の視線を、
上へ上へと誘導する働きをもつ。」
そもそもこの絵も軸物だし展覧会のように、
立っている者を “ 観る者 ” とは想定していないだろう。
座ってお軸を観ることを考えていたとすれば、
なおさらフワーっと空に向かって投げられた
丸いものや棒みたいものに導かれて、
「賛文」に行きつくであろう。
天 気 降 々
地 気 昇 々
地 天 為 泰
萬 物 以 生
「宇宙の気が降りてくる。大地の気が昇っていく。
地と天があわさり、
泰、つまりおおきくてゆたかでやすらからな世界ができる。
そこからすべては生まれでるのである。」
中山 喜一朗 さんはわかりやすく書かれてくれている。
「自由でしあわせな心の状態が、
周到な計算と卓抜した表現力によって
具体的な形に表現されている。」
禅画の賛文にしろ展示会の解説にしろ、
目録の解説でも、、、一つの見方であることに違いない。
賛文に辿り着き、、そしてまた絵を愛でる。
『龍虎図』は70年代の作品、
この『曲芸図』は60歳代のものだという。
無法の画風を手に入れた仙厓さん。。。
ピカソのように周到な計算で筆が生き生きと。
是何曰龍
人大笑吾亦大咲
猫乎虎乎
将和唐内乎
真偽の鑑定というのがある、
仙厓さんの筆遣いは
「仙厓の画は無技巧でもへたでもない。
無技巧が必要だから装っているのである。」と、
「仙厓の偽作の多くは無技巧をまねようとして失敗する。
なぜなら、捨てるべき技巧さえももっていない
偽作がほとんどだからである。」
『仙厓の○△□—無法の禅画を楽しむ』
また触れることがあると思います。。。
そ。。『曲芸図』
せっかくだからスクロールして
下から上に見て行ってみて・・・
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