情景を感じる表現って???
少し前の話になりますが、、、
門純が所属しているレーベル=シアーレーベルの
レコ発ライブ(CD発売記念ライブのこと)に
新人発掘のオーディションがありました。
コピー・シンガーもありますが、
やはり自分らしさを表現するには、
詩曲ともにオリジナルという人がほとんどでした。
聞きやすさからすればコピー曲なんでしょうが、
コピーなりにオリジナルとどう変えるのか!
自分のモノにできているのが、
評価のキーになっていたようです。
門谷純さんの5枚目のシングル
♪『アイラブユウ』
その詩にはこうあります。。。
♪大阪駅上りホーム けたたましく急ブレーキが鳴る
微笑んだサラリーマン 通勤快速飛び込んだ
私のかすれ出た 足早に去るビジネスマン
騒ぎ出したやじ馬と 鳴り響くケイタイのシャッター
あなたにメールを打たなくちゃ
今日は久しぶりの待ち合わせ 人身事故の騒ぎの中
いつもの二人の合言葉を送った 「アイラブユウ」
近づくサイレンと 乱れいく電車のダイヤ
「またかよ」って疲れた声 泣き出した女子中学生
あなたに花を買っていくよ 白とピンクの2本でいいかしら
いつかは枯れてしまうけど でもあなたは目を見てこう言って
「アイラブユウ」
5番線は青信号 乗り込んだ無数の魂
動きだすそれぞれの時間に かき消される謝罪アナウンス
あなたとの約束の海にもうすぐ着きそうよ
悲しいフリした不感症少女は ただ一言本音を言えました
「アイラブユウ」
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ときどき遭遇する時の流れを辿っているうちに、
表情の変化が目に浮かびます。
一瞬にして質の変わる時間の流れ。
でも元通りになると “めいめい” が
そのコトから離れて行く、 気持ちの転換というか様変わり。
残酷なまでに走り出す列車の流れに、
一人ひとりの “ 無関心 ” に導かれる
楽曲にあるように
「♪動きだすそれぞれの時間に
かき消される謝罪アナウンス」
いろんな情景や表情が想像されるということは、
人それぞれ 時それぞれ に受け止め方が変わって来ます。
自分の時の流れにどう関係するかで、
芸術作品には鑑賞のキーが異なるということです。
ノベライズ本を見て映画を見るか?
見てから原作に触れるのか?
いろんな鑑賞の作法があるように思います。
楽曲は詩とリズムで絵は頭の中で、
ビデオクリップになるとこう表現しようとした意図を
探りたくなります。
何かが加われば、
なして加えられたのかそれを探るのも
“作品” に関わる楽しみでもあります。
オーディションのレーベルスタッフの話で括ります。
「情景が想像できるかという詩になっているか?
風景を追うだけではないコトバの使い方が
キーポイントになるのでは」と。
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