新聞を読むということ。。。

新書というのは、、
ホンマ早く読んでからこその
   「新書」である。



こないだチェーン展開をしている古本屋さんで、

『読売 vs 朝日 — 社説対決50年』
    (中公新書ラクレ) を手にした。

読売新聞と朝日新聞の過去50年の
大きなイベントに関する社説対局だ。
  定価は720円。。。
ブックカバーに貼られたプライスは
      「105円」



いかに鮮度が命だということだろう、
2001年から7年たったらこんな感じだ。


読売新聞が作ったにしても、
31戦31勝はちと勝ち過ぎだ!!

「朝日新聞が、
 この本と同種の企画をした場合には、

 謙虚に読んでみたい」とも記しているこの本。

対抗本の登場はないようなので、
   
いわゆる不戦勝ということか。



話は少し変わるが、
虎次郎の学んだ自由奔放な中高の国語の授業に、
ある事件なり話題を「新聞5紙で比較せよ」という
課題が課され、
その後 班別で発表そして討論するものがあった。


イマから思うに高校2年頃にこんな「お勉強」が、
2ヶ月も続いてたのもこの新書をめくってるうちに、
     よみがえってきた。


内部進学先の同志社大学には、
文学部社会学科に「新聞学専攻」というのがあったし、
国語の担当の先生は国文学専攻の出身。
そんな大学のコミュニケーション、ジャーナリズムに関する
教育研究の場の存在を訴えたかったのだろうか。



新聞によってモノゴトは大きく切り口が
異なるということがわかったし、
記事によっては写真が付き注目が湧くもの、
淡々とその事実だけを数行で触れるもの。
同じ事件なのにこんなに違うものかと・・・



教科書を使わない授業はこれだけではなかった。
悪文集という生徒の悪文を集めたものを教材にし、
どんな文章だと人に伝わりやすいのか。
どんな展開で文章を書いたらいいのか。
決して貶される悪例に終始しない、
  そんな雰囲気がただよった。


ただ当時 教科書代返せ!!なんての
 叫び声が響くシーンも思い出される。
決して教科書を使わなかったってことはなかったが。

課題をやって来ずに騒ぐ生徒に
「授業料返せ」と叫ぶ先生の
イミが当時はわからんかったが・・・・



「学ぶことができる機会を大事に」という
  メッセージやったんやと
   40を越えてようやく感じている・・・



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