南海ホークスをたずねてvol.6 落ちない紙飛行機


1970年代の南海の
屋台骨を支えた藤原満 さんは、
「飛行機がよく飛んどったけど、
 これが落ちてこんのや」
と???
この時期には関西国際空港も存在しない…
伊丹空港などの飛行ルートでもない。
何かのトリックか何かか???

宮部みゆきさんが書かれた
『火車』という小説に…
「アップにして、
 初めてわかったんですよ。
 この照明灯のライト、
 ひとつひとつが、
 この家の方を向いているでしょう?
 ということは、
 外を向いているんだ。
 野球場のなかに
 家があるわけないんだから

華やかだったころの大阪球場での
栄光のシーンを知る人たちにとっては、
痛わしや”という思いが募った。

関西国際空港の建設などにともなった
再開発計画の遅れもあって、
なかなか使われない球場が晒された。
住宅展示場として使われたり、
一時期はミュージカル「CATS」
専用劇場がドーム型で作られたり、
更地にしてくれた方がスッキリするのに、
とのオールドファンの嘆き…
解体までにあまりにも
時間がかかり過ぎました。

スタンド傾斜は急勾配、
超一等地の敷地の狭さを
カバーするための
すり鉢状のスタヂアム。
そして "すり鉢球場" は、
相手チームの応援も耳に入る。
とりわけ当時のパの関西3球団は、
南海、阪急、近鉄といずれも私鉄、
強烈なライバル関係にあって、
直接対決では「電車名」でのヤジ
やった、やった、またやった!
 栗橋茂、また、やった!
 近鉄電車で、早よ、帰れ!


スタンドが落ちてきそうな
くらいの激しい傾斜…
頭の上からヤジが降ってくる
 ような感じがあって…

飲みに出た翌日は
「あれからどこいったん?」。
阪急ファンからはこんなのも
野球、おもろいか~?
 わしらはおもろいぞ~

1970年代のブレーブスは
強かったからファンからのヤジ。

紙飛行機は飛ばしたのは、
スタンドのファン…
ときどきは高島屋の
バラの包み紙だったとか…
球場は大きくないけど
湿気があるからあまり
ボールは飛ばなかったらしい。
街中にあったこと、
スタンドの傾斜がきつかったこと、
すり鉢には風が通らなかった。
だからスタンドの上には、
風が流れていたのです、
ひとたび風に乗ると、
落ちてこなかった紙飛行機

野村兼任監督
グラウンドに姿を見せると、
きのう、藤原が悪口言うとったで」。
藤原満さんが悪口を言うはずがない、
でもネタは尽きなかった。



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