四天王寺七宮めぐり 壱 河堀稲生神社


JR寺田町から西へ10分ほど、
河堀稲生神社というお社。
創建は聖徳太子の時代より、
ずっと昔のこととされ、
日本武尊の時代にまで遡ります。

日本武尊熊襲平定の帰路に、
難波の柏の渡りで、
敵を征伐したゆかりの地。
難波の柏の渡りとは、
柏の葉のような難波の港のこと。

この戦いで船師として
功績のあった土豪の夏目逆輪井
昼ヶ丘と呼ばれてたこの地に、
宇賀魂大神
祀ったのが起こりとされます。

境内にある巨石…
なにかの由来があるのか?

聖徳太子四天王寺を建立した際に
社殿が造営されたとされ、
聖徳太子の叔父である崇峻天皇
合祀して "四天王寺七宮" の
一つに数えられたとされます。

主祭神は崇峻天皇、
神社の起こりの宇賀魂大神
そして素盞嗚尊が祀られています。
稲成り」の意味だったものが、
稲を荷なう神像の姿から後に
稲荷」の字が当てられたとされ、
"稲生" をイナリと読ませるのは、
古来のカタチを伝えるともいえます。

摂社の若宮八幡宮
應神天皇とその子 仁徳天皇
そして…
和気清麻呂も祀られています。
788年3月に和気清麻呂が
農業の振興と水害の防止のため、
摂津国と河内国の国境に河川を
築くという大規模土木事業を起請、
その頃から「古保礼」から
河堀」と称するようになったとか。
河堀稲生を "こぼれいなり" と
読むとの由来が出揃いました。
摂社にはもうひとつのイナリ

桜樹稲荷大神の提灯。
豊臣秀吉とお稲荷さんが
祀られている末社。
江戸時代初め、
片桐且元の寄進により
壮麗な権現造の拝殿に。

元禄2年に素盞嗚尊を勧請、
1907年にもともと大阪城内
屋敷の鎮守であった稲荷神社を
合祀したとき、河堀稲生神社に
社名を改めたのだとか。

境内に残された道標には、
ひらの大念仏和州 大峯山

玉垣にある "新興出版社啓林館"さん、
1946年に創業された出版社、
最初の出版物は小学校用自習書
「国語の学習」「算数の学習」。
啓林館ブランドで教科書を
出版されてきたのでこの社名に。
大阪本社は神社の近くにあります。

桜が咲くころも美しいとか…

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