ブレーブスのあった頃③ 剛球が投げ込まれた場所


西宮球場はプロ野球黎明期に
誕生したスタジアムで、
職業野球が1年目のシーズンを
終えた1936年冬に着工、
5カ月間の突貫工事で
1937年5月に完成した。

竣工当初は内外野天然芝、
日本初の二層式スタンドなど…
甲子園球場に対抗しての「銀傘」、
開場当初は5万5000人の収容でした。

阪急ブレーブスがなくなったいま、
その跡地に立つ西宮ガーデンズ

シネコンフロアの一角に
阪急西宮ギャラリー

往時の西宮スタジアムの精密模型が
置かれていました。

建設の命を下したのは阪急電鉄
当時の阪神急行電鉄創始者であった
小林一三という人。
在阪の鉄道会社の阪神電鉄には、
人一倍のライバル心があったとか。
当初の建設予定地は西宮北口駅の
真上に「ターミナル・スタジアム」、
そんな奇想天外のプランをぶち上げた。

いざ神戸線と今津線のクロスした
辺りをホームベースとする設計図、
グラウンドに必要な部分に
阪神電鉄が所有の土地が転々と…
用地買収が当然のごとく不調に、
駅徒歩3分の大毎フェアランド跡地
用地を求めたそうです。

かつての西宮北口駅の名物、
神戸線と今津線の平面交差、
ダイヤモンドクロスも再現…
この上にスタジアムとの発想、
小林一三さんは規格外なのでした。

メインゲートはホーム側の
今津線の踏切から一塁へ
向かうところにアプローチ。

単線ながらも踏切とともに健在。

記録の舞台としての西宮球場…
あの「江夏の21球」伝説の8年前、
江夏が投じた41球の大記録
1971年のオールスターゲーム、
全セの先発江夏豊が、
9者連続三振を達成した場所。

9人目の打者は阪急ブレーブスの
加藤秀司さんだったのです。
キャッチャーフライに反応した
田淵幸一に向かって追うな!と…

実は前年の1970年第2戦に先発、
2回裏の一死から5連続三振。
1971年第3戦も6回から登板、
代打のロッテの江藤慎一を三振。
次の野村克也のセカンドゴロ、
ここでストップなので、
オールスター記録は
15連続奪三振なのだそうです。
西宮ガーデンズの屋上…
江夏豊が剛球を
投げ込んだホームベース
相当高い位置になったが、
時を過ぎて象られていました。


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