京祈りの地をあるく 末刀岩上神社
松ヶ崎の山中にある巨石、
学術的用語を用いるならば
"磐座"と言った方がよいもの。
この平らな岩が御神体…
本殿もなく拝殿のみの祈りの場。
松ヶ崎の新宮神社から八丁街道への
抜け道に「狐坂」とうのがあり、
そこからも眼下に認めることが出来ます。
式内 末刀岩上神社とあり、
平安時代の延喜式神名帳に
記載があるので"式内"。
"まと いわがみ"と読みます。
鳥居の扁額はかなり新しい。
神石はその昔、
兵庫の海中で霊光を
発していたものを得て、
この地に勧請したと伝わり、
古くから漁猟・ 牛馬の神として
信仰されていたそうです。
この平らな岩が御神体…
本殿もなく拝殿のみの祈りの場。
松ヶ崎の新宮神社から八丁街道への
抜け道に「狐坂」とうのがあり、
そこからも眼下に認めることが出来ます。
式内 末刀岩上神社とあり、
平安時代の延喜式神名帳に
記載があるので"式内"。
"まと いわがみ"と読みます。
鳥居の扁額はかなり新しい。
神石はその昔、
兵庫の海中で霊光を
発していたものを得て、
この地に勧請したと伝わり、
古くから漁猟・ 牛馬の神として
信仰されていたそうです。
下鴨神社の大炊殿の前庭に
「水ごしらえ場」とされる
磐座があるのですが、
末刀社の祭神である
"水の神" が降臨される所。
末刀岩上神社の隣にある泉、
『枕草子』にも名水の桜井との
記述のある「桜井水」。
末刀岩上神社への信仰に、
水の存在がいまなお残ります。
社地内には法華経の石碑、
送り火の「妙法」…
日蓮宗の日像が松ヶ崎の西山に
南面して自ら杖を引いて
"妙" の字を書き、
その後を村人が木を切って
燃やしたのがその始まり。
実は"法"の字はそれからずっと後の
1700年代が始まりとされ、
下鴨大妙寺の二祖日良という僧が
松ヶ崎の東山に南面して
書いたのが始まりだと言われます。
この磐座は仏教への信仰より
もっと以前からここにあった
祈りのかたち…
末刀社近くよりは湧き出した水は、
泉川となって糺の森へ続いており、
奈良のお水取り 春日大社と
若狭彦神社のような関係が、
ここにも存在しているようです。