ウチナー・グスクを征く④ 勝連城その4


いよいよ 一の曲輪へ…
この辺りも
かなり滑りやすい(TдT)
ごチューイ
ごチューイ!!

ここは勝連城 “最終防御ライン
上るにつれて階段幅が
徐々に狭まっています。


敵の横腹を突いて撃退する
仕組みなどなど、
少ない兵力でも互角に
戦える工夫が見られる
かつての「一の曲輪の城門」。


沖縄最古の
歌謡集『おもろさうし』 、
「かつれんは てだ むかて
 じょう あけて」

昇る太陽に一の曲輪城門が
誇らしく光り輝いていたとか。

ビジターセンターに
捲髭状の浮き彫りの石材
飾りの付いたアーチ門で
あったと考えられています。

一の曲輪は標高約100m、
かなりの広さがありました。

真ん中にあるのが
「玉ノミウヂ御嶽」
霊石の表面が平坦に
されていることから、
グスク時代は建物の
基礎だったとみられます。
二の曲輪のウシヌジガマ
繋がる場所。

発掘調査による想像図がコレ。
その周辺からは、
海外交易の渡来品が多く出土…
一の曲輪には宝物殿のような
建物があったことも分かりました。

中国の宗・元・明時代の
陶磁器や東南アジアの陶器

中国や大和の古銭、玉類、
銅製品、鉄製品などなど…

勝連城の立地の良さが、
その繁栄をもたらしたのです。

美しい眺望は、
城主の威徳を示す場所、
軍事要塞としての
機能を併せ持っています。

最近の歴史研究で
阿麻和利という人のことが
少しづつ分かってきました。
おもろさうし』で
「肝高の阿麻和利」と賛美
されていたこともその一つ。
敗者の戦いは「乱」として、
悪者とされますが、
反対から見れば地域のリーダー、
肝高とは「お心が高い」のこと。

勝連城の石組みを目にすれば、
そんな気持ちが掻き立てらず
にはいられませんでした。

基礎づくりの凄さも実感!
この後に…流血騒ぎ(TдT)
休憩所で止血し…
Band Aid
巻いていたら…
隣に人影!!( TДT)
リアル過ぎ〜〜〜

でも おばぁのお蔭で、
爪も剥がれず指も折れず…
助かったのでしょうね。

勝連城で天と地を噛みしめ、
次へ参ります(・ω・)v

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