雷公の太鼓吊り 大津絵を往く1

東海道と大津街道の分岐点に
 山科追分という地があります。

東海道といえば五十三次というのが一般的ですが、
 大津宿からは三条大橋に向かわずに、
 ここから南西に向かうと伏見に行き着きます。
伏見までだと 東海道五十七次になります。

54番目が 伏見宿(京都府京都市伏見区)

55番目は 淀宿  (京都府京都市伏見区)

56番目に 枚方宿(大阪府枚方市)
そして最後 守口宿(大阪府守口市)ということになります。

街道分岐点で賑わいをみせたのが大津宿
寛永年間(1624〜44)である江戸時代中頃、
逢坂山のふもとである追分・大谷付近で
町絵師が素朴な仏画を描いて旅人に売ったことが

 「大津絵」はじまりのようです。


「雷公の太鼓吊り」



かみなり たいこ
  つるべ とる


商売道具の太鼓を
落とした雷さんが
錨(いかり)で
釣り上げよう
 としている姿。。



怖いはずの雷が太鼓を
落として苦心。。。




この絵は雷除けとして 旅人に持ち歩かれたようです。

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