TAROとメダル


EXPO’70パビリオンで企画展
「大阪万博と万博記念公園の歩み」
所狭しと当時のお宝グッズが
ならべられていたのですが、
そこで太郎さんのメダルをゲット

"札幌オリンピック記念メダル"で、
おそらくネットでは今や品薄。
専用ケース付きなので、
落札価格は5,000円くらいかと。
格安でお譲りいただきました。

販売ブースにおられたのは、
EXPOカフェをやっておられた
白井達郎さんがお宝蔵出し、
コレクションはまだまだ
お持ちのようですが、
「ほしい人に持ってもらおう」
ということ。

メダル以外にも各国の万博切手、
万博グリコのソ連館
ついにコレクションに加わりました。

岡本太郎はオリンピックの
記念メダルをいくつか
手がけているのです。
こちらは1964年東京大会

東京大会のメダルは、
月桂樹をくわえた鳥が
大きな翼を広げ、
その下で選手が躍動する姿。

1972年ミュンヘン大会のは、
疾走するランナーの
ゴールシーン…
「身と心、生命全体が、
 世界をになって躍動する。
 輝かしい青春の誇りだ。
 競技もさまざまだが、
 プレイをする者も見るものも
 一緒になって、
 オリンピックには、
 あたかも
 栄光のテープを切るような
 心の高まりがある。
 それを表現した。


裏面にはが描かれています。
五輪夏季競技大会史上初の
公式マスコット
その名は"バルディ"。
俊敏で頑健な犬としてよく知られ、
ババリア地方でペットとして
人気の高いダックスフンド
モデルにしたそうです。

キャラクターデザインはカラフル。
頭としっぽはライトブルー、
6つのオリンピックカラーを
何色か使ったストライプが胴体に。

五輪の公式参加メダルについては、
実はあまりまとまった情報がないのです。
こちらは歴代参加メダルですが、
まとめサイト的なものも
見つけられませんでした。

いわゆる金銀銅メダルとは違うデザイン。
「芸術はひと握りの
 特権階級の専有物ではない。
 一点しか売らない絵を
 売ってしまったら、
 作品は金持ちのリビングや
 大企業の応接室に幽閉され、
 民衆の前から姿を消してしまう。
 それでは最初から存在しない
 のと同じではないか
」と…
太郎さんが参加メダルを手がけた…
太郎さんならではのワークでした。

こちらは1978年の
国際眼科科学記念メダル

国際眼科学会は、
眼科に関する国際学会。
第1回会議は1857年ベルギー、
以来4年ごとに欧米を中心に
開催されていたが、
1978年に初めて日本で開催、
5月14日から1週間、
国立京都国際会館で開催され、
約3,700人が参加したとか…
記念切手も発行されたのです。
タローマンの"みつめあう愛"は、
作品がモチーフとなった奇獣。

JR記念メダルもてがけました
これは国鉄民営化記念もの。

1987年のもので"出発"の字も、
太郎さんのアート文字。
「さよなら国鉄・さあ出発だ・
 国鉄の誇りを背負って
 新しい時代に挑む・出発進行」

との解説文が添えられていました。

1986年のフランス造幣局のメダル

材質は銀で金メッキ
太陽と月が表裏で描かれています。
《マラソン》 1964年 油彩・キャンバス

岡本太郎が五輪のメダルのデザインを
手掛けることになったのは、
建築家・丹下健三との
コラボレ ーションといえる
国立代々木競技場・第1体育館
南側ロビーの壁画がそれ…
高さ約3m全長約 50mの作品、
油彩《マラソン》もその頃のもの。
札幌オリンピック記念メダルは、
野沢温泉スキー場 日影ゲレンデに
ハンネス・シュナイダー記念碑としても
そのデザインを受け継いでいます。

オーストリア人のシュナイダーは、
玉川成城学園の招きで1930年に来日。
日本にアールベルグスキーを伝えた
スキーインストラクター第一人者、
1930年3月に野沢温泉にて指導
日本のスキー技術の進歩に多大な
影響をもたらした人物で、
日本に初めてスチール・エッジ
持ちこんだ人物でもありました。
当時シュナイダーが模範滑走を
行った野沢温泉の斜面は
"シュナイダー・スロープ"と名付けられ、
現在も野沢温泉にはシュナイダーの
名前がそこかしこに残ります。
岡本太郎はスキー愛好家で、
親交があった三浦雄一郎から
賞賛される程の腕前でした。
蔵王とともに野沢温泉も、
たびたび訪れていたとか…
「どんな急斜面でも直滑降で
 滑るのがスキーの醍醐味だ」
シュナイダーコースを直滑降。
TAROデザインのスキー板、
カザマ・スペシャルコンビネーション
閃光とともに滑り抜けたとか…

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