iza KAMAKURAⅡ 鎌倉五山 円覚寺舎利殿へ


iza KAMAKURAⅡ 再びの鎌倉へ…
横浜からJRで北鎌倉駅へ…
駅からほどなく円覚寺
鎌倉時代の1282年創建、
執権で幕府を握った北条時宗
よって建てられた禅寺です。
時宗は円覚寺を建てたのは、
国の鎮護と禅を広めること

もうひとつは、
フビライ=ハンの元の侵攻、
蒙古襲来である元寇の
戦死者を弔うため…

元寇の戦死者が
日本人・モンゴル人関係なく、
弔われているのです。


この円覚寺で有名な"舎利殿"
お釈迦様の骨や遺灰を祀る
お堂を舎利殿と呼び、
円覚寺舎利殿には、
佛牙舎利(ぶつげしゃり)、
お釈迦様の歯が祀られています。
源実朝が宋の時代に
中国の能仁寺から請来したもの…

実はこの地は中学の地歴部の
冬の合宿以来の訪問
です。
"地歴部"とは地理と歴史のクラブ、
鎌倉を歴史探訪の旅、
その時の宿泊地は江ノ島でした。
舎利殿周辺は修業場、
一般の参拝者は年始とGW、
11月初旬などの限定日しか
公開されていません。
合宿の日も見学はままならず…

ただ顧問の先生は、
禅宗の僧でもあった
ので…
「国宝をみれないのは〜〜
 研究のために京都大阪から
 来たので 云々」お寺の人と交渉…

外観だけでしたが間近に
みせてもらうことができました。
ちなみに中高はプロテスタント校
礼拝の時間の賛美歌、
顧問は口パクやったかも(苦笑)

舎利殿は神奈川県唯一の
国宝建造物
なのですが…
公開のときでも外観のみ。
鎌倉市西御門にある来迎寺あたり、
鎌倉尼五山第一位の太平寺仏殿
移築したものと伝わります。

神奈川県立博物館では実寸復元
前回の横浜訪問で入堂体験。
佛舎利をお祀りする宮殿が安置、
その前に鎌倉彫の須弥壇
観音菩薩と地蔵菩薩が
祀られているとか…

円覚寺のご本尊を祀る"佛殿"、
宝冠釈迦如来が本尊で
華厳の盧遮那仏とも称されるとか…
関東大震災で倒壊した佛殿は、
1964年に再建されたもの。
本尊は佛殿開堂の1282年(弘安5)安置、
1563年(永禄6)の大火で焼失、
お顔のみが救出されたそうで、
その後1625年(寛永2)に体部が補造。
"大光明寶殿"の扁額は1378年、
後光厳天皇の宸筆となるものです。

"選仏場"
南北朝時代の薬師如来立像を
安置する坐禅道場です。
関東大震災の佛殿の倒壊後は、
仏殿を兼ねていたそうです。
《月百姿 》月岡芳年画

伊勢長島藩第2代藩主の
松平忠充という人は、
江戸期の円覚寺のサポーター
として知られていますが、
残念なことに忠充は、
暗君とされるなどして、
なかなか評判がよろしくない。
《月百姿 》は子 忠章
描いているのですが、
忠充によるストレスからか、
城内でうたた寝…

小刀がお腹に刀に刺さり絶命。
1702年(元禄15年)
藩は改易の憂き目に遭います。

こちらは居士林(こじりん)こと
もと東京牛込にあった
柳生流の剣道場だったそうで、
1928年に柳生徹心居士より寄贈、
移築された"濟蔭庵"(さいいんあん)。
明治に入って在家の人の座禅が
盛んになったそうで、
それらを"居士禅"と呼ぶそうです。
山岡鉄舟、鈴木大拙、夏目漱石など
多くの居士が参禅したそうです。

こちら方丈正門の唐門

勅使門の風格が備わっていて、
唐破風の懸魚には菊の花と葉、
大瓶束の両側には亀に波、雲形。

両扉には龍・雲・波濤


大方丈のご本尊は釈迦牟尼坐像
裏手には方丈庭園

心字池を中心に岩と苔が配された
禅宗様の庭園…

臨済宗を伝えた中国ですが、
文化大革命で仏教文化を
本質的に捨ててしまっています。
中台関係ギクシャクどうなるものか…
佛心はなくとも
平和を願いたいもの
です。

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