藤田平太郎の別邸椿山荘③ 三重塔 圓通閣
椿山荘のツバキヤマに立つ三重塔 …
広島県賀茂郡にある竹林寺
というお寺ににあったものとか。
建築工法や細部の様式から、
室町期と推定されていますが、
明らかではありません。
旧寛永寺の五重塔、
池上本門寺の五重塔とならび、
東京に現存する三古塔のひとつ。
そして登録有形文化財にも
指定されています。
大正時代の強風の影響で
二層目・三層目が
大破した状態であったのですが、
藤田男爵の目にとまり、
1925年(大正14)に
移築されて現在に至ります。
扁額には"圓通閣"とありますが、
この名が付けられたのは
最近のことでして…
2010年に移築後初めての
改修が修めれたときに、
新たに聖観世音菩薩を奉安。
臨済宗相国寺派
有馬賴底管長 猊下による
開眼法要を執り行われ、
圓通閣と名乗るところと
なったのです。
圓通とは圓通大士、
観世音菩薩の異称で、
圓通閣は観音堂を意味します。
早朝に見学したのですが、
途中で扉を開けていただきました。
「和様を基調に各部に
禅宗様を加味し、組物は三手先、
軒は各層とも本繁平行垂木。
移築時に軸部が改造されたが、
外観は細部に至るまで
本格的な構成をよくとどめ、
苑内の景観の核となっている。」
文化財オンラインでは、
このように解説されています。
塔のルーツは広島県東広島市の
篁山 (たかむらやま)の竹林寺・
広島大学に残る
『篁山竹林寺縁起絵巻』に
三重塔がみえます。
移築・修復については、
藤田男爵が
「三重塔を全国に手配し
探し求めた」とあるのですが、
「奈良の骨董商を通じて購入」
とする文献の存在が知られています。
"ならまち"の賑わいを伝える
「まちづくりジャーナル」によると、
大匠棟梁の山賀熊吉の住む
「山賀家の裏庭に
三重塔が立っていた」とか。
台風で二層・三層が大破した
三重塔を解体して部材を
いったん奈良に運び、
熊吉棟梁の自宅裏庭で
組み立てながら修理したとか…
裏庭には礎石と思われる石があり、
孫の山賀慶子さんも
「古老の『塔が立っていた』
という証言記録もありますよ」。
敷地の境界線をめぐる裁判記録に、
「大正10年頃山賀熊吉さんは
この土地を購入、
長屋を壊し先ず仕事場にされました。
そこには三重塔が立ててありました」とか。
三重塔周辺には"いわれあるもの"が、
あちこちにみられます。
こちらは般若寺式石灯篭。
江戸時代の茶人・造庭家の間で
"名物の灯篭"と呼ばれ、
本来は奈良市般若寺に在する
石灯篭が原型とされていました。
実のところ…
椿山荘所在の灯篭の方が
基礎部分の反花の勾配、
火袋の彫刻の図様などに
オリジナルさがみられ、
のびのびとし優れているのです。
石造美術研究の川勝政太郎 博士の
調査発表によると…
椿山荘所有のものが原型で
般若寺のものはその模作であり、
江戸時代初期作とか。
三重塔のたもとにある丸型大水鉢、
京都の日ノ岡峠にあったもので、
木食上人 養阿正禅が
旅人のために作ったものとか。
手前にある石は牛車の轍が
刻まれた敷石で、
峠を越える人々の肌を冷やし、
喉を潤したのでしょう。
こちらは織田有楽ゆかりの層塔…
まさしく東京の椿山には、
藤田平太郎さんの趣向が
こちらは織田有楽ゆかりの層塔…
まさしく東京の椿山には、
藤田平太郎さんの趣向が
詰まっているのです。