世界遺産・石見銀山へ④ 旧河島家住宅
代々銀山附役人を勤めた「旧河島家」。
1610年(慶長15)に
銀山奉行大久保石見守に召し抱えられあと、
河島家中興の祖である
河島家中興の祖である
6代目三郎右衛門のときは、
銀山附役人のトップである
組頭まで昇進したとか。
石見銀山内で唯一公開されている
武家屋敷の居宅跡で、
中には隠し部屋もあるとか。
1935〜1951年まで大森町役場、以後、
武家の家らしい槍たちも。。。
主屋は平屋建てのように見えますが、
土間と納戸の上に二階が設けられていて、
接客用の座敷から庭を見下ろすことができます。
こちらは別の2階部屋です。
台所附近は高い天井が
大きな梁で支えれていました。
石見銀山領という特殊な支配地ならではの、
その土地に精通した者が地役人として
代官所の入用によって採用されたそうです。
地役人はその地に土着の人から選ばれたようで、
原則一代限りの召し抱えだったのですが、
ほぼその大部分は世襲されていたようです。
初代三郎衛門以来8代まで
256年間地役人を担ってきただけに、
書画などもたくさん伝えられていました。