甲子園メモリアルボックス 銀傘

今日は試合に負けましたが。。

甲子園歴史館に行ってきましたので、
少しずつこのブログで紹介していきたいと思います。

















歴史館の2階にあがると
「甲子園球場 メモリアムボックス」
というコーナーがあります。










それぞれが甲子園の原風景を伝えるもの
「銀傘」、「ラッキーゾーンのフェンス」
「ツタの幹」、そして「弾痕が残る鉄扉」
「銀傘」から紹介していきます。



















「銀傘」のお兄さん「鉄傘(てっさん)」は、
1924年に登場して
1930年にはアルプススタンドにまで
傘を広げていましたが、
その後戦時色が強まる中で、
1943年に金属供出のためもぎ取られました。





















金属供出のため解体が進み、
骨組みをさらす大鉄傘
  =1943年撮影





「わびしかったなあ。
 とくに、球場の外に壊した鉄傘が
 放置されているのを見て、
 ひどく腹がたったのを覚えている。」


玉木道夫 氏の『甲子園球場物語』にある
タイガースの金田正泰 さんの言葉。

「鉄サンがはずされたとき、
 われわれ球場関係者は
 そのトイの中で名ごりを惜しんで寝た・・・」

こんな苦いことばとともに展示されていました。




銀傘と呼ばれたのは
2代目が
「ジュラルミン」
製で
作られたのでこの名で
呼ばれるようになります。











3代目は1982年に
葺き替えられたもので、
「アルミニウム合金製」
     でした。

今回のは
「ガルバリウム合板」

という素材でできています。
かなりの軽量化が
図られたようです。








また3月から「銀傘」は
1600枚の
太陽光パネルを載せて、
こゝろ新たにガンバッテいます。

発電量は阪神が甲子園で主催する
54試合分ということなんだそうです。。


今日の時点で甲子 園球場の
0.8倍の森林が吸収するのに相当する

CO2の削減に役立ったということ。
これからは人にも地球にも
やさしい存在であり続けてほしいと願
います。
















今年からライトスタンドの照明灯には、
Hondaのヒューマノイドロボット
空を指さしていますね。










球場前にある
「甲子園大運動場」
  モニュメント

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