TS大阪万博 その32 若い太陽の塔をたずねて


4月6日までの
「若い太陽の塔」の公開。
週末にナゴドでゲームと
     あわせ技で、
観に行った。。。

ただ・・・
野球のことは
負け癖が再発?
ブログではいずれ。。










愛知県 犬山市の「日本モンキーパーク」
 というところにある大阪万博の前年の
1969年に聳え立ったシンボル。
















当時は「犬山ラインパーク」という名前。
動物園エリアの「ヒヒの城の丘」にあったが、
「動物園ゾーンに
 人工造形物があるのは相応しくない」
  という意見もあって、
1975年に展望の良い現在の場所に移された。
















ハイキングコースで あった道は、
今回の特別公開で
ボランティアが募られ整備されたとか。
土曜日の1回目の集合時間には
50人ほどの人が集まった。
遠くは関東からという人もおられた。















実に間近の公開は2003年以来。
移転当初は塔近くまで
ケーブルカーで結ばれ、
バーベキュー場もあって賑わっていたそうだ。









←ケーブルカーの名残






木立ちのなかに巨人のように佇む塔は、
少し猫背で若々しさを
しっかりしまい込んでいるかのように映る。



















顔の後ろには銀色の球体があり、
太陽の下には赤、青、緑の角状の支柱。
「翼」、「植物」、「炎」
 あらわしていると言われている。


















「太陽の塔」の65メートルにくらべ、
「若い太陽の塔」26メートルなのだそうだ。
ちょうど展望台は地上7メートルの位置にあり、
気持ちの良い風が虎次郎をクールダウン。
飛騨木曽川国定公園のなかにあるそうで、
遠く濃尾平野をのぞむことができた。











←左奥に小牧城







「ひろびろとした丘の上に
 “若い太陽” が生まれる
 日に日に新しく生まれ変わる
 我々の生命の象徴 (シンボル) 
 金色(こんじき)に輝く顔はおおらかに
 バイタリティを放射する 
 赤 青 緑の粧(よそお)いは
 濃い青春の彩(いろど)りである
               岡本太郎」



















岡本太郎さんのコトバが残っていた。
1969年にこの場所で大阪万博の
プレイベントとして
「万国博と世界お国めぐり」を開催された。
そのシンボルとして太郎さんが
製作されたのがこの「若い太陽の塔」なのだ。















「日本モンキー パーク」
    開園50周年、

岡本先生の
生誕100年は来年だ。


「若い太陽の塔」
本当の若さが
取り戻される日が
訪れんと願う!!
























岡本太郎さんの「坐ることを拒む椅子」
園内にあったものが塔の近くに移設されていた。 












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