2016年6月21日火曜日

岸和田モダンをあるく〜岸和田城


岸和田のシンボル岸和田城。
上棟札には「再建工事」とあるので、
いわゆる復元工事ではないのです。

鉄筋コンクリート造りで、
三層の天守閣が再建されたのは、
1954年(昭和29)のことです。
戦後間もないころに、
岸和田市民の寄付金
実現したのですからスゴいです。

市役所庁舎の周辺も、
当然城内であったそうですが…

史蹟 岸和田城址」の石碑は、
なぜか庁舎前にあるのです。

実は増築を繰り返していて、
最も古い部分は天守閣と同じ、
1954年ということからすると、
まさしく城とともに
戦後の岸和田の
出発点であったのです。

戦国時代末期は、
松浦氏の居城となっていました。

秀吉の時代にはここを拠点に、
いわゆる根来寺勢力を一掃。
その後、叔父の小出秀政を城主に、
天守閣は秀政のときに
建てられたのがはじめのようです。

豊臣氏滅亡後は、
松平氏二代を経たのち…

寛永17年(1640)以降は、
摂津高槻から岡部宣勝が入城し、
明治維新まで治めたとのことです。

大坂の南の守りとして、
西国支配の重要地でありました。

天守閣は落雷によって
文政10年(1827)に焼失…

絵図などでは本来は五層天守、
模擬天守」という位置づけで、
今ならかならずストップが
かかるのかと思います。

府土木部計画課からも当時、
復元ではないので許可しない」 と
指摘があったそうです。


「岸和田千亀利城天守」

建築年:1954年(昭和29)
設計 : 池田谷一級建築士事務所(池田谷久吉)
構造 : 鉄骨鉄筋コンクリート造、
     大屋根部分-鉄骨下地
     木造三層五重本瓦葺き