竹原の町並みをたどる⑥ 春風館・復古館〜光本邸 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ 投稿者: 虎次郎 - 8月 15, 2013 内部非公開だけど町並み保存地区のほぼ中心に位置するのが、頼山陽の叔父で 頼春風 の邸宅の「春風館」。春風は大坂で医学と儒学を学び、安永2年(1773)帰郷し 医師となっていたようです。 安永末年(1780)には塩田経営に乗り出し、「春風館」を建てたのは天明元年(1781)のこと。武家屋敷風の長屋門と門構え。 その奥に頼春風の養子である 頼小園 の建てた「復古館」は切妻造の数奇屋建築で対照的です。 「復古館」の離れ座敷で後に光本家が居住した部分は、「光本邸」として公開されています。土蔵は「今井政之 陶芸の館」。 今井氏が親しんだ瀬戸内海の魚、草花や生き物など自然をモチーフとした 器が展示されていました。改めて「塩バニラ」でクールダウン...暑い中歩き続けて少しバテ気味でした。 リンクを取得 Facebook Twitter Pinterest メール 他のアプリ
万博のユニフォーム 投稿者: 虎次郎 - 7月 03, 2010 EXPOカフェのコミュでツイッターの おつきあいをさせている方 が、 「EXPO'7Oパビリオン」ホステスの ユニフォームの図鑑を発刊されました。 『日本万国博覧会 パビリオン制服図鑑』 大橋博之編著(河出書房新社) ¥ 1,680 せっかくなので EXPOカフェでゲット。 EXPOカフェのオリジナルの ブックマーカー 。 虎次郎が引き抜いたのはコレです。 とってもオシャレなアイテムです。 実はブックマーカーには、 シークレットアイテムがあって。。。 館長からウインクしているのを 見せてもらいました。 「未来から舞い降りたビーナス!!」たちのなかで 虎次郎がお気に入りなのは、 サンヨー館のホステスさん。 サ ンヨーの企業カラーは、 実は青色だったそうだが、 黄色が選ばれた。 白色のベレー帽、 ショルダーバック、手袋に 白色のラインがアクセントを 添えている。。 この時代のデザインは実にオモシロい。 EXPO'70パビリオンにある復元展示と 連動させた「ビジュアルムック」。 ピクトグラム が登場したこの時代は、 過去のものとは思えない。 過去から来た 未来のファッションショー のようです。 「制服といえばなんとなく決められた服を 強制的に着せられるものというイメージがある。 ユニフォームとは、 ユニは一つ、フォームは形で、 皆同じ形でと統一されるという意味があり、 統一の美を表現しなければならないわけだ。 一人の人が着ていていかに美しくとも、 百人集まったら複雑でみられないというのでは、 ユニフォームの真の立場からはずれているのだ」 これは日本万国博協会で デザイン顧問として活躍された 田中千代 さんの 「万博ユニフォームについて」にあることばの一節。 シンプル+スマート+チャーミング な女性たちが 大阪の未来都市を闊歩していた時代を感じるには おススメの一冊のである。 昼食をすませていたのでEXPOカフェでは ケーキセットをオーダー。 クリームチーズケーキ がとっても美味。 ブルーベーリーホイップとアイスクリームが 添えられていた。 EXPOカフェはギャラリーとしても 使われているのだが、 カフェの壁を飾っていたのは 内橋未央 さんの 「time travel at EXPO CAFE」。 197 続きを読む
異界との出入り口《春日権現験記絵》 投稿者: 虎次郎 - 9月 16, 2021 『 春日権現験記絵 巻八 』の一場面 板葺きの屋根の軒先から、 腰に 小槌を差した赤鬼 が家の中を 逆さまにのぞき込む。 家の中では 男が激しく嘔吐 … ただ事ではないことは察しがつきます。 屋根の上の鬼は男に 取り憑こうとしている "疫病神" 。 《 化物昼寝鼾 》見越し入道ら 鳥居清長画 1784年 逆さまにのぞき込む異形 … 恐怖を呼ぶ一つのパターン。 現代の 都市伝説 にも、 車のフロ ントガラスの上から 逆さまの顔がすっと下りてくるとか… 妖怪の見越し入道 にも、 後ろからぐっと首を伸ばして 顔を逆さまに出してくる。 妖怪や幽霊が上の方から 逆さまに姿を現すというのは、 恐怖を感じるパターンとか。 ただ『春日権現験記絵』家人たちは、 鬼に気が付いていないと言うより、 見えていないのだと思います。 病人のいる家の外に 石が置かれ 、 祭壇を置いたあとも見えます。 小屋の中には既に命を引き取った とみられる女が横たわっていて、 《病草紙》 の形相ともみえます。 詞書にはこうある… 「弥生の朔日、河原に出たるに、 傍らなる車に、法師の紙を冠にて 博士だちをるを憎みて 祓戸の神の飾りの幣帛に 転も紛ふ 耳はさみかな」 「 耳はさみ 」とは、 林立した幣帛に紛れた紙冠、 もしくは、場にふさわしからざる 法師その人を指す とか… 呪術を終えて帰っていくのは 陰陽師 の" 声聞師 "※1か それとも僧形の" 宿曜師 "※2か。 さらに左に絵巻をたどると、 物々しい武士の一段。 詞書によると、館の主である 大舎人入道の夢にでてきた武士 。 人の目には見えない疫鬼、 夢の中でだけみることができる 武士の一団も疫病が可視化されたもの。 14世紀初頭の制作された時代、 "鬼と武士"に異形なる存在 に、 疫病の姿が表されているのです。※3 実は 武士の登場は巻二 にみえ… 残虐なシーンを描き出し、 武士が世を騒がし、 厄災を撒き散らす存在 として、 共有されていたことを 焼き付けさせていました。 巻六第一段には、 地獄の表現 がみられます。 実はこのシーンは、 春日明神のおはからいで 地獄行きを逃れた男。 春日明神の案内で " 地獄ツアー "の一幕なのです。 この男は 興 続きを読む
村野藤吾のファサード⑫読売会館・そごう東京店 投稿者: 虎次郎 - 10月 29, 2017 東京の村野建築 をチョコっと。 百貨店そごうの 初の東京進出を受けて、 読売新聞社が建設した 百貨店と1200名収容の 読売ホールやNTVホールなど からなる複合ビル。 今は ビックカメラ有楽町店 。 JR有楽町駅前の 三角形 の 不整形な敷地に聳えていました。 有楽町駅の効果とプラットホームの断面実測調査メモ 「蓮見と思われる担当者がチーフの近藤にあてたもの。 高架下のレンガアーチの形状や地上からホームまでの 高さなど詳細に実測されている。」 注目されるのは、村野の指示で 担当者に実測させたと 思われる有楽町高架の図面の存在。 駅の改札口の位置やガード下の 形状だけでなく、 地上からのホームの高さまでが 描かれています。 敷地と有楽町駅の調査メモ 「手前の三角形の部分が敷地。 高架下の駅入口の位置、プラットホームの長さや 断面形状まで詳細に調査されている。」 村野さんは、 あらゆる方向と高さから 建物がどのように見えるのか 正確に予測し、 設計を進めたのです。 外装も、内部機能や方位を考慮、 水平線を強調したガラスブロック面と、 テッセラ ※1 と呼ばれる白い大理石の 小片を張り詰めた壁面との 対比的な表現でまとめられた。 ちなみに、 フランク永井さん の 「 有楽町で逢いましょう 」は、 有楽町そごう の キャンペーンソングだったとか。 ただ、 当時の建築雑誌では 酷評 …。 一番の理由は 公共スペースが確保されていない ということ。 9階平面図 「建物の形を巧みに利用しながら、 ホールの舞台と客席が配置されている。 また、内部の機能を踏まえて、 外周の壁と開口部の変化を 生み出そうとしていくことが読み取れる。」 論争を大きくしたのは、 同時期に建設中だった 丹下健三 の東京都庁舎の存在。 【東京旧都庁】 こちらは1957年建築… すでに取り壊されています。 実は村野藤吾も コンペに応募しています。 機能美追求の案が多いなか、 建物の顔となる東京駅側の 立面をうまく処理し、 横連続窓の水平線を強調、 塔屋を東西両面を 全面ガラスブロックという 立 続きを読む