伏見街道沿い 「いづ松」の鯖寿司
「東福寺」に面する通りは「伏見街道」という道。
豊臣秀吉が伏見城築城にともなって開いたもの。
京の七口の一つである伏見口から
伏見に至る全長8キロメートル。
九条陸橋のかかるところにある
「伏水街道 第二橋」と刻まれた
親柱が保存さてていて風情を伝えていた。
「東福寺駅」から降りてほどなくのところに、
「いづ松」というお寿司屋さんがあった。
あの祇園四条にある「いづう」さんから
先代が「のれん分け」された店と知って…
美味しい「鯖寿司」を目指して、のれんをくぐる。
初代「いづみや卯兵衛」の名をとって「いづう」。
「鯖之介」はサバサバした性格。
豊臣秀吉が伏見城築城にともなって開いたもの。
京の七口の一つである伏見口から
伏見に至る全長8キロメートル。
九条陸橋のかかるところにある
「伏水街道 第二橋」と刻まれた
親柱が保存さてていて風情を伝えていた。
「東福寺駅」から降りてほどなくのところに、
「いづ松」というお寿司屋さんがあった。
あの祇園四条にある「いづう」さんから
先代が「のれん分け」された店と知って…
美味しい「鯖寿司」を目指して、のれんをくぐる。
初代「いづみや卯兵衛」の名をとって「いづう」。
若狭湾から京都に運ばれてくる一塩鯖を用いた
鯖寿司を初めて商品化した老舗としても知られる。
今のように交通機関の発達していない時代の京都では、
魚を食べるのが難しかった。
若狭でとれた鯖はほぼ一昼夜かかって運ばれる。
足の早い鯖はいわゆる「浜塩」されて、
「鯖街道」を幾度と峠をこえて京都にやって来る。
今日につく頃にちょうど塩のまわった「塩鯖」に。
稲荷ずし、巻きずし、
奥の真ん中にあるのは、
タマゴ、エビ、白身魚が盛られたのは「ケラ箱」というモノ。
奥の真ん中にあるのは、
タマゴ、エビ、白身魚が盛られたのは「ケラ箱」というモノ。
実は「京寿司」はにぎり寿司より長い歴史を持つ。
かつて朝廷に献上されていたもので、
京寿司五人衆ってのががいたぞ!!
「鯖之介」はサバサバした性格。
細かい作業が得意な「ばら小町」。
「おはこ」は狭いところが大好きって・・・
「おはこ」は狭いところが大好きって・・・