南京町で久々の広東料理!
こないだの土日は
タイガースがサッポロに
行って勝ち星を
あげれずでしたね。
こちらは反省する
虎。。。
虎次郎 日曜日はスカイマークスタジアムに
バファローズ VS ベイスターズの
試合を見に行きました。
あのスタジアムは
本当に野球!を見るんやという
気分になります。
観戦レポではなくてデーゲームの帰りに
元町によって久しぶりに
南京町に行ったときのお話です。
虎次郎の家はトキドキ神戸に行くのが好きで、
よく元町・三宮に行っていました。
亡き父は4月は「新緑」で六甲。。
5月は海を見に行こうということになり、
帰りは元町の南京町で食事をする
のがお決まりでした。
虎次郎が中学の頃の南京町は、
まだ観光地化されておらず。
華僑の人が必死に暮らしておられる姿を
目にした記憶があります。
戦後の日本はどの街でも見られた風景だが、
当時の元町は荒れた時代がほどなく収まり、
街の姿が定まらない時代でした。
南京町を支えた
広東料理店 民生の 呉 信就 さんが
「南京町」のHPのコラム「町を守りぬいた男」の
なかでこう話されています。
「外人バーの隆盛で、
厄介事はエスカレートしていく。
ホステスを背後で仕切るやくざ。
通りに組事務所までできた。
堅気(かたぎ)の人が
寄りつけない町になっていった。
店をたたむ処が出てきた。
商売にならないのだ。 」
おそらく虎次郎の記憶でも
中華食材の店もわずか、、
いまや「南京町」の定番にもなっている
ぶたまんの「老祥記」さん。。。
そして中華料理店は「民生」さん
ただの一軒だったように。。。
元町の商店街を曲がると次の角まで行くには、
少し勇気がいったような感じでした。
チャレンジ精神旺盛な虎次郎の家族は、
ここは美味しいに違いないと「民生」の扉を押す。。
原色の中華の飾り付け、、本当に大丈夫かなと、
その頃そう思っていたのだと。
実は一緒に行った連れの子どもたちが、
妙にソワソワしている。
理由を聞くと春慶節の獅子舞と目が合うのだと。
そういえばあの頃、
虎次郎もそんな心持ちだったのかも。
「自分は中華料理しか出来へん。
ここを捨ててしまわれへん。
他のどこにも行くあてもない。
それとファンがついていてくれてた。
食べに来てくれてたからこれしかなかった」。
おそらく
虎次郎の一家は「民生」のファンだった。
震災直後も心配になって
お店の無事を見にきたことがある。
神戸、元町は虎次郎家の
句読点のようだった。
久しぶりのレタス包みとチャーシュー。。
ここにはそういえば、焼き餃子はなく、
水餃子と揚げ餃子だ。
なんか理由があったように思う。
店を出たあと震災以来の
南京町の人の少なさに気づいた。
新型インフルエンザの流行を契機に
客足が遠のいているのだという。
それと名物の
「いか天」を食べていないことに。。
また改めて来る時も
待ち時間なしで入れるだろか???
創業以来の看板料理
いかの
女王と呼ばれている
「あおりいか」を使用
並ばないと食べれない「南京町」。
商売繁盛のためには活況が一番だ!!
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