雪の日

池田遙邨 「雪の日」

















昨日の雪は大阪市内ではミゾレまじり。
昨年のように積もるところまでは
     いきませんでした。
2年前にブログ紹介した「 雪の大阪 」って
   覚えておられますか?
















(絵をクリックすると
  2007年1月29日のブログにジャンプします)



中之島を描いた雪化粧をした大阪の情景
どちらも日本画家 池田 遙邨 さんの作品です。
倉敷市立美術館遙邨 さんの出生が
倉敷市 玉島
であった縁もあって、
8000点を越える彼の
コレク ション
を所蔵する美術館です。

江戸の浮世絵師・歌川広重
 傾倒されていたようで、
3回の徒歩で東海道を歩き描いたといいます。
1931(昭和6)年完成の
「昭和東海道五十三次」はその集大成です。

実はこの
「雪の日」という作品には、
「昭和東海道五十三次」に
ネタ元なるものがあって、
四日市の開栄橋(かいえいばし)を
描いた「昭和東海道五十三次」の「四日市」の
クローズアップ版とも言えるものです。














四日市は東海道と伊勢参宮道の分岐点で、
開栄橋は四日市港の運河に架かる橋。
近景に描かれた橋の表現など、
浮世絵風の大胆な構図は
こちらの五十三次の方が、
虎次郎的にはしっくり来るように思います。

四日市は重要な分岐点でしたので「天領」!!
東海道のその要衝を幕府は
「天領」として直轄されていました。

滋賀県の水口町には将軍滞在用の
水口城があり作庭の名人である
小堀遠州が手がけたといいます。
そう大坂の地も「天領」でした。


「昭和東海道五十三次」写生の旅。
ただ広重は東海道を上って来たのですが、
京都に住んでいた遙邨さんは、
京都の三条大橋から下っていったとのこと。

当時はまだ東京といっても、
「東下り」と呼ばれるもの。
東京に行くことを「上京」というのも、
戦後から定着したもの。
永らくは東海道線の上り下りも、
なかなか「上方」には
  合点がいかなかったようです。





池田遙邨
「法被を着た自画像」
こんな姿で旅したとか。。

クリックすると
池田遙邨「昭和東海道五十三次」の
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