「区切り」とは??
今日 1月25日は、
朝日新聞が
創刊された日。
1879年
明治12年から
数えて130年
ということになる。
明治大学の 川島高峰 准教授 が提唱されている
「新聞こそが教養の源」というのがあります。
ネット時代が進めば新聞って要らなくなる。
部数は激変しましたが廃刊になることは、
ないのやと思います。
アスパラクラブの
「情報リテラシー講座」にこうある。
「「情報リテラシー」の授業で、
時事問題と新聞の活用を思い至ったのには理由がある。
昨今の学生は、殆どパソコンを持っていて、自宅から
普通にネットへアクセスしている。そのせいか、最近、
新聞を見ない若者が増えた。新聞はともかく、
テ レビのニュースくらいは見ているだろうと思いきや、
ニュース番組を見ている若者も余りいない。
皆、「ニュースはネットで充分」と言うのである。
一方で、
最近の若い人は世間のことを知らないとよく言われる。」
クイズ番組ではおバカキャラが大流行り。
首相の読み間違えまでが日々綴られる。
ネットで気に入ったページだけを見続けると、
深くなりすぎて新しいネタに会えない。
川島高峰 准教授はこうも言われる。。。
「ネットには深く接しているのに世の中を知らない。
しかも、わかっていない のは、社会のことだけではない。
「君は一体、何をしたいの?」と聞か れても、
どう答えていいのかわからない学生が増えた。
自分のことがわからないのである。
自分のことにしか興味がないのに、
自分のことがわからない。」
このことは、、
姜尚中さんの『悩む力』に
通ずる話かもしれない。
「 世には情報が溢れ、
いつでもネットを通じて入手できるのに、
どうして自分を見つけることができないのか?
それは、自分のことにしか興味を持てない限り は、
自分のことなどわかるようにはならないからだ。
人は他者と出会うことで初めて自己と出会う。
だから、自分のことが知りたければ、
出会う世間や情報は広いほうがいい。」
ブログのタイトル「区切り」の話に移る。
虎次郎もパソコンを触る時間が長い。
どこかで制約を付ける方がよりよい時がある。
虎風ブログのオフ会で、
「どれぐらいの時間で更新しているのか?」
と聞いてみた。
「1時間と決めています。」とのこと。
仕込みはいろいろとあろうが、
どこかで「区切り」を付けられているからこそ、
ええもんが出来るということ。
新聞というのはある時間で取りまとめがなされる。
「「私」と出会うために必要なことは、
「今だけ、ここだけ、私だけ」という
「区切り」である。
「区切り」のない世界に常時いると、
座標軸のない空間を浮かんでいるような感覚に陥る。
ネットで充分と思っているのに、
自分のことも世間のことも
わからなくなる理由がここにある。」
夜が来るから朝がある。
気持ちの切り替え、
「区切り」の付け方。。。
これからも大切にしていきたい(・ω・)v
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