玉の輿

今宮神社
「玉の輿お守り」なるものが女の子??の間で
    評判だそうです。。



















元禄時代の大奥を取り仕切った「桂昌院」は、
西陣で生まれ育った八百屋の町娘だった お玉 さん
三代将軍・徳川 家光 に見初められ側室となり、
そのお蔭をもって 今宮神社 社は元禄時代
鎌倉時代の盛況を取り戻したと言います。

いわゆる「玉の輿」の玉は西陣の お玉 さんのことで、
今宮神社 「玉の輿お守り」には、
お玉さんの実家の八百屋の野菜がデザインされてます。
























虎次郎「神子守」を授かりました!
今宮神社 のやすらい祭りには、
この 神子(カンコ)という囃子方が登場します。

話は少し変わりますが、

能の演目に「鵺」が登場するものがあります。
「鵺」というのは物の怪(もののけ)ですが、
古くは疫病神を憑かせた神輿を淀川に流していました。
いわゆる平安京の結界の外に棄てていたようです。
ということは、、、淀川に
物の怪がウジョウジョ??

ただ流してばかりではと思ったのでしょう。
平安時代の終わり頃から
今宮神社 疫神社で封じ込めるように

 変わっていたようです。。

今でいう産廃の中間処理施設のようで、
平安京の中で始末していたようです。。





健康祈願などの焼納
いつでも受けられる
「やすらい人形(ひとがた)
  があります。


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