BIOMBOって???
屏風のことをヨーロッパでは
「BIOMBO (ビオンボ)」
と呼ぶそうです。
スペインやポルトガルでは今も使われているとか。
先日まで大阪の大阪市立美術館では、
特別展 「BIOMBO /屏風」が開かれていました。
虎次郎はやむなく観に行くことができなかったのですが、
美術館のホームページから楽しみました!!
「レパント戦闘図・世界地図屏風」
六曲一双 桃山時代(17世紀)
兵庫・香雪美術館
屏風は折り枚数を曲といい、六曲だと折り目は5つ。
それが二つセットで一双という。
この屏風は「六曲一双」ということになる。
馬戦車に乗ったヨーロッパ軍の指揮官には
“ろうま乃王” と記されているという。
西洋画の中に日本語??面白い。
スペインやポルトガルとの南蛮交易では、
漆器とともに屏風は重要な輸出品だった。
「白絵屏風」
六曲一双 江戸時代(18-19世紀)
京都府立総合資料館
こちらは、出産の場でもちいられる
「白絵屏風」 という特殊な屏風です。
古くは日本人は
出産に際して、
邪気を祓うために
白い装束をまとったりした。
「白絵屏風」を置くことも
そこから来るんだろう。
清浄な「白」を
基調とした異空間は、
実は出産という
生と隣り合わせに
死への畏敬の念なのかも。
「栄華物語図屏風」にもその使われ方が描かれている。
屏風は風をよけたり視線をさえぎる調度品だった。
今でいうパテーションっていうことか??
臨終の時には
屏風を天地逆さまに立てる
「逆さ屏風」という
風習があったという。
この絵は 川原 慶賀 という
長崎の日本人絵師の
《人の一生図》という
「死去」の部分だ。
屏風の字が逆さまだ!!
川原 慶賀 (1786-1860?)は、
あの日本に近代西洋医学を伝えたシーボルト(1796-1866)が
数多くの植物画を描かせ長崎の日本人絵師だ。
話が屏風から少しズレてしまった。。。
先日、京都で大学の時に博物館学芸員課程でお世話になった
先生と一緒に「すき焼き」を食べる機会があった。
その時に骨董を扱われる先生曰く
「この頃 屏風が売れない」のだと。
日本家屋にパテーションが
必要でなくなったからだとか。