猿田彦のミチを開くvol.18 京都五条・猿田彦社
五条通麩屋町通を
上がったところ…
子猿を抱く猿の石像…
神石二石が注連縄で
祀られています。
夫婦石かも?
恵比寿、大黒の石と
伝わります。
天から降臨したとも…
ほぼ拝所のみの猿田彦社
こんな感じでお祀りされています。
扁額には猿田彦命・宇壽女命
三番叟の猿
通りに面するのは
「朝日神明宮」とあり、
かなり迷いました。
かつては広大な境内があり、
南北は五条通から松原通、
東西は河原町通から
富小路通まであったそうです。
鎮守の森は
「幸神(さいのかみ)の森」
と呼ばれていたそうです。
祭神は本社に天照大神、
相殿に国常立命
(くにとこたちのみこと)、
伊弉諾命、伊弉冉命、
倭姫命です。
国常立命はなじみない神、
『日本書紀』では一番最初に
現れた神様とされていて、
「永久に国土が立ち続け、
不変的であるように」
との意が込められているとか。
ほぼ拝所のみの猿田彦社
こんな感じでお祀りされています。
扁額には猿田彦命・宇壽女命
三番叟の猿
通りに面するのは
「朝日神明宮」とあり、
かなり迷いました。
かつては広大な境内があり、
南北は五条通から松原通、
東西は河原町通から
富小路通まであったそうです。
鎮守の森は
「幸神(さいのかみ)の森」
と呼ばれていたそうです。
祭神は本社に天照大神、
相殿に国常立命
(くにとこたちのみこと)、
伊弉諾命、伊弉冉命、
倭姫命です。
国常立命はなじみない神、
『日本書紀』では一番最初に
現れた神様とされていて、
「永久に国土が立ち続け、
不変的であるように」
との意が込められているとか。
朝日神明宮は
『京都名所案内図会』の
神明二十一ヶ所の19番と
されていました。
ただ…
1788年の天明の大火、
1864年の蛤御門の変で
大半が焼失してしまい…
社地もこの一角のみ。
「石門心学修正舎」とあり、
江戸中期の思想家
石田梅岩を開祖とする
石門心学の学問所跡。
1911年に万寿寺町から
移転してきたのですが、
今は石碑のみを残します。
信仰はいまも篤いようで、
境内はキレイに
されていました。
五条大橋の義経弁慶より、
やや西に位置します。
『京都名所案内図会』の
神明二十一ヶ所の19番と
されていました。
ただ…
1788年の天明の大火、
1864年の蛤御門の変で
大半が焼失してしまい…
社地もこの一角のみ。
「石門心学修正舎」とあり、
江戸中期の思想家
石田梅岩を開祖とする
石門心学の学問所跡。
1911年に万寿寺町から
移転してきたのですが、
今は石碑のみを残します。
信仰はいまも篤いようで、
境内はキレイに
されていました。
五条大橋の義経弁慶より、
やや西に位置します。