神のつかわしめ たち③ 牛〜京都・文子天満宮


京都・東本願寺の飛地境内地
渉成園の近くに坐する、
文子天満宮の眷属みくじ。
おなじみの臥牛は、
赤い目金の角そして白い。

牛みくじ・・・
菅原道真公と牛にまつわる
伝説や逸話が数多く残ります。
道真公は承和12年(845)に誕生、
この年は乙丑という牛年でした。

門前には
北野天満宮の前身神社
天神信仰発祥の神社と…

菅原道真は藤原時平
政略によって大宰府
突如左遷された後、
延喜3年(903)2月25日に
生涯を閉じられました。

時は過ぎ天慶5年(942)に、
西京七条に住む
多治比文子という巫女に
託宣があったとか…

文子天満宮の境内にある像は、
童女の姿で座していますが、
これは「天神縁起絵巻」に
描かれた姿に沿ったもの。

「北野の右近馬場に
 社殿を造って
 自分を祀ってほしい」

との託宣でしたが…
文子にはとても社殿を建てる
経済力はありませんでした。

文子の住居があった
西京七条二坊の一角
祠を建てて祀ったのが
天神信仰の始まりとか…
なぜ文子だったのか?
道真公の乳母だったとも、
市井の巫女だったとも。

全国文子会なるも…
あやこさん、文子(ふみこ)さん、
あやさん、あやかさんなどなど、
文子の顕彰のネットワークの輪。

境内には菅公さん

お稲荷さん

相生の御神木にちなんだ
相生講の石灯籠。

白瀧稲荷大明神

そして二つの社

右が
白太夫社」(しらたゆうしゃ)
度会春彦が御祭神。
菅原道真の守役として、
忠誠を尽くした人。
若い頃より髪が白く
白太夫と呼ばれ、
各地の天神宮にも祀らるとか…

もうひとつは
老松社、福部社、火之御子社
老松社の御祭神は、
配流先の大宰府で、
自らの無実を訴えるため、
天拝山に祀られたとき、
笏を預かってお供した
島田忠臣を祀っています。

《北野天神縁起絵巻》より

松の種を北野の地に
撒くように託された…
北野の地に菅公が
降臨されたとき、
一夜にして多くの松
生じたという。

《北野天神縁起絵巻》より

福部社の御祭神は、
牛車の世話役として
菅公に使えた舎人 十川能福
祭神名より福の神として、
崇敬されているそうです。

「日牟禮八幡宮 境内社天満宮の撫牛」

ところで…なぜ臥牛なのか?
「人にひかせず
 牛の行くところにとどめよ」

との遺言から牛車にて、
御遺骸が運ばれたのですが、
車を曳く牛が座り込んで
動かなくなり、
やむなく安楽寺に埋葬したと。

《北野天神縁起絵巻》より

絵巻の詞書にはこうありました。
「筑前の国四堂のほとりに
 御墓所と点しておさめん
 奉らんとしける時、
 轜車道中にとどまりて
 肥性多力の筑紫牛曳けども
 働かず其所をはじめて
 御墓所と定めて
 今の安楽寺と申すなり」

本殿右手に奥入ると、
天満宮遙拝所

そして菅公 腰掛石

各地に残る腰掛石…
天神さんが広く篤く
信仰されていたことを
伝えるものの一つですね。

鳥居には天満宮の扁額

狛犬ではなく撫で牛



摩利支天の猪とともに…

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