百舌鳥古墳群をあるく⑧ グワショウ坊古墳、旗塚古墳


大仙公園の南寄りにあるのが、
グワショウ坊古墳」、
大型陪塚の大安寺山古墳
次ぐ大きさを誇っています。

位置からも場所からも
仁徳陵とも履中陵とも
陪塚とは言い難く、
独立した存在ではないかと。
エリア仁徳から離れて、
百舌鳥古墳群をあるく⑧

1970年代の公園造成時には、
すでに墳丘上部は平らに
なっていたそうです。

発掘調査によると…
墳丘には掘り出した土を
天地逆さまに積み上げる
盛土工法を採用していたこと。

盛り土の断面は
褐色と灰色のシマシマ
灰色の土は柔らかい性質、
乾いた土との接着剤の
役割を果たして強度を
高めているそうです。

原位置を留めないものの
埴輪、須恵器、
ミニチュアの鉄製の鍬が
出土したそうです。
5世紀後半とする年代判定の
決め手となっています。

ユーモラスな名前の古墳には、
古墳築造のプロ集団の技が、
見え隠れしているのです。

「グワショウ坊古墳」

・円墳
・墳丘長61m
・5世紀後半
・堺区百舌鳥夕雲町3丁


グワショウ坊古墳の西側に
あるのが「旗塚古墳」。
公園内で緑が生い茂っていて、
お隣なのになかなか
辿り着けませんでした。

出土の円筒埴輪と
石見型盾形埴輪から、
5世紀中頃の築造とか。

ちなみに
石見型盾形埴輪とは…
盾を模した「盾形埴輪」で、
奈良県橿原市 石見遺跡
出土品が基準となったので、
石見型」と呼んでるもの。

家形、盾形、草摺形、鶏形など
埴輪のバリエーション多彩。
種類の多さは被葬者の位が、
相当高かったとの
想像に繋がります。

天皇陵の「陪塚」ではなく、
独立古墳」に位置づける、
そんな存在がここにあります。


「旗塚古墳」

・帆立貝形古墳
・墳丘長57.9m、後円部径41.5m、
 前方部長24.7m
・5世紀中頃
・堺区百舌鳥夕雲町3丁
【世界文化遺産登録候補】

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