エリア履中vol.1 履中天皇陵


仁徳天皇陵古墳より古く、
5世紀前半頃に造られた…
履中天皇陵古墳」。

久世仁士さんの
百舌鳥古墳群をあるく
に書かれているのが、
わかりやすい解説でしょう。

「「上石津ミサンザイ古墳」
 「百舌鳥陵山古墳」
 とも呼ばれますが、
 ここでは石津ヶ丘古墳の
 名称を使用します。
 履中天皇陵に指定され、
 内堤までが宮内庁の管理ですが、
 履中天皇の墓であるかどうかの
 確証はありません。」

こちらは拝所です。
仁徳陵と比べて
格段に狭いアプローチ。
百舌鳥耳原三陵の南陵
履中天皇陵として宮内庁が
管理しています。

実は天皇御陵には、
それぞれ御陵印という、
独自の印が用意されています。
ただ一般的にはほとんど
知られてません。

全国5ヶ所の陵墓監区事務所
戴くことができますが、
天皇陵の御朱印」と
思えば分かりやすいのかも…

戦前まではそれぞれの
陵墓に事務所があって、
管理されていたのですが、
今は仁徳陵履中陵のも、
応神天皇陵がある羽曳野市の
古市陵墓監区事務所」に
置かれています。

こちら北側にある
後円部を眺められる
一段高いビュースポット

「堺市文化財地図」などから、
陪塚と思われる位置に
10基の小古墳が存在、
うち七観山古墳
出土資料などから、
仁徳陵よりも
古くに造られたことが
わかっています。


日本書紀』には、
履中天皇について
「百舌鳥耳原陵に葬った」と、
在位期間については履中6年、
反正は4年程度…

いずれにしても、
巨大な権力者の墳墓、
であることに違いありません。

江戸時代の記録では、
後円部中央に大きなくぼみが
あったといわれていて、
すでに盗掘を受けていたとも…

前方部南東角から〜
後円部とのくびれ部分
よくわかるスポットです。



松がよく映えていました。




「履中天皇陵古墳」
(石津ヶ丘古墳)
・前方後円墳
・墳丘長約365m、
 後円部径205m、高さ約27.6m、
 前方部幅約235m、高さ約25.3m
・5世紀初頭
・堺市西区石津ヶ丘
【世界文化遺産登録候補】

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