エリア仁徳vol.2 大安寺山古墳・茶山古墳


勾玉が支える
仁徳陵周遊路案内を
進みます…

ミユキ御苑
かつては同名の
ラブホ」があったらしい。

古くは大安寺の所有地
だったことに由来する
大安寺山古墳
別名「寺山」とも
呼ばれていたようです。

仁徳陵の後円部外側の
第2堤上から三重濠に
張り出すようにある
2基の古墳のうち、
日本最大級の円墳

ただ…
三重目の濠
仁徳陵築造時から

あったかどうかは諸説あり。

江戸時代の絵図や
新田開発の資料から、
当初から存在していたと
という説に落ち着いたとか。



宮内庁の管理であるからして…

厳しい鉄柵が待ち受けていて、
陪塚(乙号)となっています。



江戸時代の地誌『堺鑑』に
豊臣秀吉が大山古墳で
 狩りをした時に茶屋を
 構えた所を茶屋山と
 呼んだことからきている」
との記述がある「茶山古墳」。

宮内庁より、仁徳天皇陵の
域内陪冢(甲号陪冢
として管理されてます。

濠にはさまれた堤の上に
付属墳として墳丘が
造られることは
とても珍しいことで…
大安寺山古墳と茶山古墳
以外では確認されていません。

この辺りは古墳に沿って
310号線府道2号線
束ねて太くなります。

近くで見ても、
歩道橋から眺めても…
円墳かどうかも不明。
仁徳天皇陵本体との
区別もつきにくい。

Google Mapでようやく、
別モンだとわかるのです。

「大安寺山古墳」

(だいあんじやまこふん)
・円墳
・径62m、高さ9.7m
・5世紀
・堺市堺区大仙町
【世界文化遺産登録候補】

「茶山古墳」
(ちゃやまこふん)
・円墳
・径56m、高さ9.3m
・5世紀
・堺市堺区大仙町
【世界文化遺産登録候補】

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