民家の殿堂〜日本民家集落博物館へ
服部緑地にある
中学の地理の授業で来た、
そんな記憶があったので寄ってみた。
ソバの花の咲く奥にみゆるのは、
「摂津能勢の民家」。
旧泉家住宅は、
江戸時代初期のもの。
「丸に桔梗」の家紋と
「懸魚」とよばれる、
火事よけの彫刻。
こちらは堺の風車。
現地では「カザグルマ」と、
そう呼ばれていたそうです。
1基の風車で畑一反の水を
まかなうことができたそうです。
北河内の茶室。現在の守口市
旧庭窪(にわくぼ)で建てられ、
その後交野市私部(きさべ)へ。
屋根は茅葺きで、
一部が瓦と銅板葺き。
盛岡市南西の矢巾町(やはばちょう)に
あった「南部の曲家」。
母屋の土間には囲炉裏、
火を燃やすと厩まで、
暖かい空気がいきわたる。
人とともに馬が寄り添って
生きる民家。
ネズミが爪をかけて登れない。
「奄美大島の高倉」は、
高温多湿に耐え、
ときには陽射しを避ける
「小豆島の農村歌舞伎舞台」
神社境内の本殿とむかいあって
神社境内の本殿とむかいあって
神様にも芝居をいっしょに
「大和十津川の民家」
杉の産地でもあったので、
風呂と便所がつけられ、
「越前敦賀の民家」
太い梁材は豪雪地帯ゆえ
筵(むしろ)を敷いただけの
「飛騨白川の合掌造」
1階は家族、2階以上は養蚕の場。
暮らしと生活がともにあった。
この大井家住宅で
家族は20人くらい、
他の家では40人とも。
長男のみがヨメトリをし、
弟妹たちは通い婚で
夫婦はそれぞれ生家に。
屋根は1階部分には
固定されていない、
載せてあるだけの柔構造は、
強風に対して有効。
そんな場所は今でも、