TARO100《若い時計台》

東京で泊まった理由は
「パンダ」
ともう一つ。
そして・・・
太郎の「パブリックアートをあるく」こと。
東京駅チカのホテルにしたのは、
夜の銀座をぶらりとするために・・・・























先月の6月26日に修復がなされ、
よみがえった
《若い時計台》

「 人間は本来八方に意欲を突き出し、
 情熱をほとばしらせながら生きたいのだ。
 時間を超えた時間、機械的でない、
 人間的な時間を表象したつもり」
「数寄屋橋ライオンズクラブ記念誌」より























時計台ができたのは
「東京数寄屋橋ライオンズクラブ」
「銀座ライオンズクラブ」から
     独立したのがキッカケ。
1960年代の当時のこの界隈は、
「みゆき族」が闊歩するワカモノ文化の発信地。

「やたら色、形が混乱した雑踏の場。ひどい」と、
あの 岡本太郎 でもさすがに嘆いていたのだという。



















「 ただすっきりとしたものを
 作ったって埋もれてしまうだけ。
 激しいと同時に、静まった、
 周囲と異質でありながら

 ピタリとあの場所に生きる、

 彩の濃い象徴を」
 ということで、
円柱スタイルの台から円すい状のオブジェが
さまざまなに突き出すカタチになったのだという。


















とにかく東京の夜は暗いから。。。
ひょっとして《若い時計台》
節電対象になっているのでは??
と心配していたのだが・・・
自ら光を発しての自己主張!!
体から突き出している角なるモノ、
一つ一つ根元からも
光が発せられていい感じやった。









































マリスタではフィールドウォークしたし、
お腹がかなり減ったので。。。
ちょっとチェックしていた
数寄屋バーグを・・・


















Lサイズ250グラムにアボガドチーズを・・・
肉汁たっぷり 虎次郎 大満足!!!





















で・・・・《若い時計台》
やっぱり昼の姿も見たかったら、
改めて昼間にも寄ってみたのよ・・・
風景にかき消されているのでは?
     と心配したのだが、

「若い時計台ここにありき」
 感じで立ちすくんでいました。



































「数寄屋橋ここにありき」の石碑

『君の名は』の作者である 菊田一夫 の筆による
『君の名は』とは1952年に放送された
   NHKラジオドラマ。
その後 映画化されてヒロインの
岸恵子がマフラーを巻いた「真知子巻き」が
流行したとか・・・高度成長期のの匂いが残る。






































顔を辺をアップすると。。。。
なんとアゴのところに
金色のオブジェが・・・・


















あの浅草にあるアサヒビールさんの
「炎のオブジェ」
  
にとっても似ちょるね・・・












そんな訳で、次回からは
「うえの夏めぐり」をお送りします。


















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