TARO100 日と月
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《日の壁》1956年
岡本太郎さんのパブリック・アートの
代表作が1956年に東京都庁内にあった
《日の壁》《月の壁》《建設》などの
7つのレリーフ壁画たちである。
「ラジオ、テレビに見られるように、
大量に生産され、
ひろく一般の身近に
ふれるものこそ価値がある」
都庁の顔として多くの都民に親しまれ、
1954年には建物設計者の丹下健三と共に
フランスの建築雑誌『今日の建築』から
「国際建築絵画大賞」を受けた名品であった。
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《月の壁》1956年
ただ、
芸術の大衆化を目指した太郎さんは、
代表作の《太陽の塔》が
あまりにも露出度が過ぎたからなのか。
美術界からは黙殺され、
評価も否定もされなかった時を過ごした。
そんな中で、
パブリック・アートであったはずの
日と月たちは不遇な扱いを
受けることになっていたようである。
公共空間の芸術を研究する
東京大学大学院の 柴田葵 さんによると、
「丸の内庁舎は行政職員の肥大化と共に、
第一本庁舎新設後数年にして手狭になり、
廊下にまで執務室を拡張し、
臨時の説明会場等に利用するありさまだった。
そのため、陶板レリーフの前に
書類や機材が積み上げられて作品が
見えなくなっていることもあり、
芸術作品としてのまっとうな扱いを
受けていなかったのである。」
なんともザンネンな話である。
でもそんな扱いにさらに追い打ちをかける。
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都庁の新宿新都心への移転が持ち上がり、
壁画は撤去やむなしという判断である。
「コンクリート壁に埋め込められていて
取り外し困難な上、
低温で焼かれたタイルは崩れやすく、
既にひび割れ等が生じていることが判明」。
1990年の12月に
美術評論家の瀬木慎一さんらが
自らが保存すると表明したものの、
短い期間での取り外しを求められて断念。
1991年9月に壁画は失われます。
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カベはタテモノと一体、
運命を委ねるしかなかった。
まさにそんな時代だった・・・
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《月の壁》(原画)
板橋区立美術館 蔵
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《日の壁》《月の壁》(複製)
都庁レリーフから型取りされた1/5スケール
(のちに東京都現代美術館に所蔵)
参考文献:
「建築移転時における
パブリック・アートの運命 : 東京都庁移転の場合」
柴田葵(東京大学大学院博士課程)