太子霊場めぐりvol.11 第二十九番 勝鬘院愛染堂


聖徳太子が勝鬘経というお経を
人々に講ぜられた場所と伝わります。
28から36となった御遺跡霊場、
実は霊場会に参加している認識がなく、
太子の御朱印が存在していない、
霊場がいくつかあるそうです。

勝鬘院愛染堂は四天王寺別院ですから、
そのあたりのことは問題なく。
聖徳太子御遺跡御朱印とお願い…
「聖徳太子御遺跡第二十九番」でなく、
「参拝」と押印されています。

太子霊場御朱印らしく菊の御紋に、
大きく"聖徳太子"と揮毫されています。

金堂前には顔出し聖徳太子パネル。
おなじみの太子二王子像
右左ともウインクしてる😁

《聖徳太子二王子像 (模本)》

モデルはこれですね。
笏を持つのが太子像…
教科書やお札の印象が強い。
この絵の⼆つの異名…
"唐本御影" "阿佐太⼦御影"、
それぞれ作者を示し
唐本とは唐の⼈のこと、
阿佐太⼦は百済の王族の
画家の名前
と言われている。
七⼤寺巡礼私記』を書いた
平安時代の学者、
⼤江親通がこの画を拝観したのは、
保延6年(1140)のときに
こんな感想を述べていました。
「太⼦の俗形(ぞくぎょう)の御影⼀舗。
 くだんの御影は唐⼈の筆跡なり。
 不可思議なり。
 よくよく拝⾒すべし」

境内の中央に構える金堂は、
推古天皇元年(593)太子によって
創建されたとされています。
その後、
信長の大坂石山寺攻めで焼失…、
徳川秀忠の手によって再建。
もとは奈良時代設置の令外官である
庶民救済施設・薬園である施薬院

しょうまんいん と読みますが、
聖徳太子が勝鬘経というお経を
人々に講ぜられた場所と伝わります。
勝鬘夫人のことを、
古代インドではシュリーマーラー
お釈迦さまの教えに感動して、
お釈迦さまと大勢の人々の前で
"大乗仏教"の教えを大演説されました。

《聖徳太子勝鬘経講讃図》斑鳩寺

勝鬘経は大乗経典の一つで、
聖徳太子が熱心に翻訳と
注釈書を残される程の
日本仏教基礎となる経典です。
出家の如何に関わらず、
誰もが仏教を勉強する
価値があるという教えです。

勝鬘経の主人公である勝鬘夫人を、
その本質は"如来"であるとされ、
阿喩閣国(古代インド16ヶ国)の人々を
教化するために女性の姿が必要と
説かれていたと認識していたとか…
当時のインドの一小国の国民を仏教に
引き入れるという意味より、
全世界の人々、全歴史上の人々を
対象とする意味としているのです。

十一面観音を挟んで秘仏 愛染明王
6月30日までは土日限定で
開帳されています。

釈迦には、女性差別の思想は
なかったにもかかわらず、
その後の歴史の中で女性に対して
偏見や差別が生じました。

それは男性仏道修行者にとって、
女性の誘惑を断ち切ることが
極めて困難であったからだと
…平安時代になり空海によって
密教が日本に伝わると、
金堂に愛染明王が本尊として
奉安されたそうです。
愛染明王には縁結び・良縁成就・
夫婦和合・愛嬌開運の功徳…
川口松太郎さんの『愛染かつらは、
映画化もされるなど、
「愛染まつり」にはお色気が漂います。

今年もオンラインなんでしょうね…

多宝塔は、推古天皇元年に
聖徳太子によって創建さたもの、
信長期の焼失を再建したのは、
豊臣秀吉でして、
戦勝祈願のための大日大勝金剛尊像と、
極彩色の十二天の壁画と柱絵が
奉安されているそうです。

最後に山号 荒陵山のこと…
四天王寺の山号も同じですが、
荒陵(あらはか)と読みます。
これは、四天王寺がかつての皇族の
古墳の跡に建てられたことを
表しているといわれます。

こちらは御聖忌の特別朱印
歌川芳雪の《浪花百景》より…

もとはこちらです。
大阪市立中之島図書館蔵。

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