太子霊場めぐりvol.13 第十九番 達磨寺
御朱印には「聖々相見地」と…
『日本書紀』の推古天皇21年(613)の
「片岡山飢人御慰問」のことを意味します。
達磨寺HPの
漫画「片岡山飢人伝説」…
こちらを紹介しておきます。
手厚く葬られ後、
人々は達磨墳と呼んだ…
王寺達磨寺の起源です。
聖徳太子と達磨大師の出会いから
はじまった達磨寺には、
今も本堂の下に達磨寺3号墳と
よばれる古墳時代後期の円墳。
鎌倉時代にその上に
お堂が建てられていましたが、
2014年に本堂が建替られたときに、
小さな石室をつくって石塔、
石塔の中には合子が入っていて、
さらに合子には水晶製の五輪塔…
本堂は達磨寺3号墳の上に…
千手観音を中座に、
聖徳太子、達磨大師が三尊仏ご一堂…
巾子冠をかぶり、
笏を手にとる聖徳太子像。
銘文から1277年の鎌倉期のもの。
袍の皺部分には彩色が確認でき、
こちらの聖徳太子画像のように
かつては鮮やかな
緋色の袍だったとか…
木造達磨坐像は室町期のもの、
足利義教が命じて1430年に
制作させたものと銘文が残ります。
達磨さんて座禅しすぎて手足も
腐ってなくなったというのは俗説。
ダルマは起上り小法師をもとに、
群馬県の高崎の達磨寺の和尚が
江戸時代に考案したものです。
本堂下には"問答石"があります。
こちら太子石…
聖徳太子と飢者に身をやつした
達磨大師が出会い、
歌を詠み交わした場所とか。
「しな照るや 片岡山に飯に飢えて
伏せる旅人哀れ親なし」
木造達磨坐像は室町期のもの、
足利義教が命じて1430年に
制作させたものと銘文が残ります。
達磨さんて座禅しすぎて手足も
腐ってなくなったというのは俗説。
ダルマは起上り小法師をもとに、
群馬県の高崎の達磨寺の和尚が
江戸時代に考案したものです。
本堂下には"問答石"があります。
こちら太子石…
聖徳太子と飢者に身をやつした
達磨大師が出会い、
歌を詠み交わした場所とか。
「しな照るや 片岡山に飯に飢えて
伏せる旅人哀れ親なし」