かごしまゆ② 反射炉ゆ薩摩近代化

仙巌園には
明治日本の産業革命遺産
反射炉遺構が残されています。

薩英戦争後に炉や煙突が
失われていますが、
基礎部分だけが面影を
伝えています。

島津斉彬が日本を守る
大砲を鋳造するためにと…

もとは
ヨーロッパで開発されたもの、
鎖国中のさなかオランダの
書物のみを手がかり、
日本人だけで造るしかない時代、
そう考えると熱意だけでは、
なしえなかった気概を感じます。

基礎部分は支えるのは石垣を造る技、
そして燃焼室の耐火レンガは
薩摩焼の技術が応用されました。

近代薩摩焼 発祥の地」。
きらびやかな絵付けが特徴、
慶応3年(1867)には
SATSUMA」として
パリ万博にも出品されました。

自助努力からスタートした
日本の近代化の足跡、
2015年の世界遺産登録です。
ひっそりとある
石組みの建物は「濾過池」、
のちの大正天皇となる皇太子に、
磯御殿訪問時に"きれいな水"を
お出しするためつくられたもの。

1907年(明治40年)9月竣工。

覗き込むと…
石でできた2つの貯水槽、
第1の水槽に石や砂利・砂でろ過、
それを第2の水槽にためておいて、
下にある御殿に給水したようです。
水も漏らさぬ石組みは、
鹿児島の石造技術の高さが、
なし得たものなのです。

こちら「御庭神社
鶴丸城内や仙巌園に
散在の社殿を合祀。
ここにある1対の灯籠は、
薩摩藩の家老 調所笑左衛門
寄進のものだそうで…

500万両という莫大な借金で、
破たん寸前を立て直した家老、
大河ドラマ「篤姫」では
平幹二郎さんが好演でした。

そして工場群跡「集成館」へ。

1865年(慶応元)に竣工の
機械工場前には、
紡績百年の碑」。

斉彬はこの地を中心に、
造船・造砲・ガラス製造・
紡績・写真・電信など
多岐にわたった事業を展開。

軍備増強ばかりを主としていた
幕府・諸藩に比べて、
西欧諸国と対等関係構築のため
産業育成・社会基盤整備に
重点を置いたことが、
薩摩人が多くのジャンルで
活躍したことと、
無関係ではなさそうです。
溶結凝灰岩が用いられた建物、
「ストーンホーム」と呼ばれ、
イギリス人技師の影響の説が、
かなりあったようです。
ただ基礎部分には、
神社建築によく見られる
亀腹石」が使用され…
屋根構造はトラス構造への、
その機能の発揮は不十分のよう。

「屋根を支える方杖と呼ばれる
 斜めの柱と
 全体を支える梁の大きさが
 本来の寸法と逆になっている」
といった点、
建設に当たった 竹下清右衛門らが、
長崎製鉄所や書籍などを参考にし、
独自の工夫で取り組んだからだ、
と言われています。
尚古集成館の前に…
竈神、水神、山神
近代化への地にも、
自然への畏敬のカタチ。



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