2011年6月7日火曜日

みちのく遠征 その6 「あゝ青葉城」

















仙台といえば青葉城・・・
仙台市内は復興しつつあるようだが、
市中心部から城跡を結んでいる
市道・仙台城跡線沿いには
城壁の崩れたところがあちこちに見られるとか。

仙台国際センターから上がる道路は通行止め、
東北大学のキャンパスを抜けてぐるっと大回り。















「るーぷる仙台」っていう観光バスもようやく、
6月1日(水)から青葉城址にも
停車するようになったとか。
訪れた日は試験運転がなされていた。


石垣が崩れたのは、城跡の西側のあたりで、
縦7メートル、横58メートルにわたって・・・
修復には歴史的価値を損なわないよう
時間をかけて行う必要があるとかで、
通行止めが長引いているとのこと。
















昭和5年に建てられた伊達政宗騎馬像は、
独眼ではなく両眼を開いたもの。
実は政宗の遺言で独眼竜ではないお姿。



















こちらは仙台市博物館に伝わる肖像画で、
政宗死後40年がたった
1676年に先祖をまつる堂が建てられ、
政宗らの画像を掛けるという慣例が
できたころに描かれた狩野派の筆による。


















「 親から授かった大切なものが、
 一つ欠けたのは誠に不敬なことであった。
 肖像画には両目そろった形にせよ」
との遺言に沿ったものと言われている。


















像の周辺の石垣も崩壊の危険性があり、
あまり近づけないとの立て札に震災を実感。


「政宗像」の手前にあるのが「昭忠塔」

















西南の役、京城事変、
日清戦争といった戦いでの、
東北地方の将兵を弔うもの。
実は頂上には「鳶」が大きく羽を
広げた姿があったのだが・・・・






























当時の日本陸軍を象徴的に表現していた
鳶は高さ20mから落下してしまったようで、
無残な姿をさらしていました。


















「仙台城見聞館」ってとこで
政宗による仙台城の築城と
城下町の歴史を見聞。
仙台城はこれまでさまざまな
天災を体験したことを知る。

















二代忠宗の1645年(正保3年)の大震災で
本丸城壁崩壊、櫓もことごとく
     倒壊したと記録にある。
1804年には落雷により二の丸全焼、
廃藩置県後残っていた大手門と脇櫓は、
1945年の仙台空襲で焼失したという。

その本丸あとに「荒城の月」の歌碑が立つ。


















青葉城本丸会館にある
青葉城資料展示館」で
  青葉城をCG体験・・・・




家康に遠慮して
天守閣を建てなかった
などなど。。

今まで知らなかった「仙台城」を体験!!
「まめぶしょー」「まめぼーず」
「との」「いろは」
のゆるキャラたち
支倉常長の紹介のときに
「ぐろ~ばる」
ってのがツボにハマった。






































虎次郎も独眼竜に興じていると・・・
























奥州仙台おもてなし集団
伊達武将隊」の大将が見参??、
漆黒の政宗が登場!!!

「ハイ 、 ずんだもち」
     ってのが決めポーズ。






















ところで、
仙台は古くは「千代」と書いていたとか。
政宗の新たな土地での
国づくりの意欲の現われのようで、
中国唐代の漢詩「仙臺初見五城楼」にちなむ。

「仙臺」は「仙人の住む臺=理想の場」の意味、
千代が「仙人の住むような理想の国になるように」
との熱い思いが託されている。

「 入りそめて 国ゆたかなるみぎりとや
 千代とかぎらじ せんだいのまつ」
政宗が仙台に居城を移したときの句。

新たな仙台の街が栄えるよう
  祈りたいものである。

「ダッテ政宗こうが愛したんだもん」