みちのく遠征 その6 「あゝ青葉城」
仙台といえば青葉城・・・
仙台市内は復興しつつあるようだが、
市中心部から城跡を結んでいる
市道・仙台城跡線沿いには
城壁の崩れたところがあちこちに見られるとか。
仙台国際センターから上がる道路は通行止め、
東北大学のキャンパスを抜けてぐるっと大回り。
6月1日(水)から青葉城址にも
停車するようになったとか。
訪れた日は試験運転がなされていた。
「 親から授かった大切なものが、
石垣が崩れたのは、城跡の西側のあたりで、
縦7メートル、横58メートルにわたって・・・
修復には歴史的価値を損なわないよう
時間をかけて行う必要があるとかで、
通行止めが長引いているとのこと。
昭和5年に建てられた伊達政宗騎馬像は、
独眼ではなく両眼を開いたもの。
実は政宗の遺言で独眼竜ではないお姿。
こちらは仙台市博物館に伝わる肖像画で、
政宗死後40年がたった
1676年に先祖をまつる堂が建てられ、
政宗らの画像を掛けるという慣例が
できたころに描かれた狩野派の筆による。
できたころに描かれた狩野派の筆による。
一つ欠けたのは誠に不敬なことであった。
肖像画には両目そろった形にせよ」
との遺言に沿ったものと言われている。
当時の日本陸軍を象徴的に表現していた
像の周辺の石垣も崩壊の危険性があり、
あまり近づけないとの立て札に震災を実感。
「政宗像」の手前にあるのが「昭忠塔」。
西南の役、京城事変、
日清戦争といった戦いでの、
東北地方の将兵を弔うもの。
実は頂上には「鳶」が大きく羽を
広げた姿があったのだが・・・・
広げた姿があったのだが・・・・
鳶は高さ20mから落下してしまったようで、
政宗による仙台城の築城と
城下町の歴史を見聞。
城下町の歴史を見聞。
二代忠宗の1645年(正保3年)の大震災で
本丸城壁崩壊、櫓もことごとく
倒壊したと記録にある。
本丸城壁崩壊、櫓もことごとく
倒壊したと記録にある。
1804年には落雷により二の丸全焼、
廃藩置県後残っていた大手門と脇櫓は、
1945年の仙台空襲で焼失したという。
その本丸あとに「荒城の月」の歌碑が立つ。
青葉城本丸会館にある
今まで知らなかった「仙台城」を体験!!
ところで、
新たな仙台の街が栄えるよう
祈りたいものである。
青葉城本丸会館にある
「青葉城資料展示館」で
青葉城をCG体験・・・・
青葉城をCG体験・・・・
家康に遠慮して
天守閣を建てなかったなどなど。。
天守閣を建てなかったなどなど。。
今まで知らなかった「仙台城」を体験!!
「まめぶしょー」「まめぼーず」
「との」「いろは」のゆるキャラたち
「との」「いろは」のゆるキャラたち
支倉常長の紹介のときに
「ぐろ~ばる」ってのがツボにハマった。
「ぐろ~ばる」ってのがツボにハマった。
ところで、
仙台は古くは「千代」と書いていたとか。
政宗の新たな土地での
国づくりの意欲の現われのようで、
中国唐代の漢詩「仙臺初見五城楼」にちなむ。
「仙臺」は「仙人の住む臺=理想の場」の意味、
千代が「仙人の住むような理想の国になるように」
との熱い思いが託されている。
「 入りそめて 国ゆたかなるみぎりとや
千代とかぎらじ せんだいのまつ」
政宗が仙台に居城を移したときの句。
新たな仙台の街が栄えるよう
祈りたいものである。
「ダッテ政宗こうが愛したんだもん」