2010年2月7日日曜日

京の冬旅「鳳凰を守る??」

相国寺承天閣美術館にあった
金閣寺の最上部を飾っていた鳳凰

明治の頃の修理で後継にゆずっていたため、
昭和の金閣寺炎上の難を免れた。
北山文化を今に伝える
「旧金閣 閣上 金銅 鳳凰」



















飛び立つ定位置を失った鳳凰は、
国宝ではなく
京都市指定文化財ってことに。
下腹部にわずかに残るのが唯一の
北山文化の残照といえるもの。



三島由紀夫の『金閣寺』

  にこんな一節がある。

「私はまた、その屋根の頂きに、
 永い歳月を風雨にさらされてきた
 金銅の鳳凰を思った。
 この神秘的な金いろの鳥は、
 時もつくらず、羽ばたきもせず、
 自分が鳥であることを
 忘れてしまっているにちがいなかった。
 しかしそれが飛ばないように
 みえるのはまちがいだ。
 ほかの鳥が空間を飛ぶのに、

 この金の鳳凰はかがやく翼をあげて、
 永遠に、時間のなかを飛んでいるのだ。」


この鳳凰を観ているとやはり、
閣上の鳳凰に無性に逢いたくなり、
足利義政の隠栖の地「銀閣寺」に
  足が動いた。



銀閣寺とは金閣寺に対し呼ばれる俗称で、
銀ではなく杮葺である。
金閣寺である鹿苑寺が「舎利殿」、
西芳寺が「瑠璃殿」。

















義政の法号 慈照院にちなんで
慈照寺とよばれる

銀閣寺は「観音殿」の名がある。

唯一現存する
室町期の楼閣庭園建築である。




















白砂の砂盛り  向月台 (こうげつだい)と、
波紋を表現した 銀沙灘 (ぎんしゃだん)。

1956年に出版された
『日本の伝統』という本に
“ 銀沙灘の謎 ”という文章がある。

「この盛り砂の形もふしぎです。
 いったいこんな形が、
 かつての日本美学の中にあったでしょうか。
 幾何学的でありながら、
 なんともいえぬ 非合理な表情をたたえて、
 いわゆるモダンアートにしか見られない、
 ふしぎに美しい形態です。」


このよろこびはあの岡本太郎さんのモノ。
銀沙灘の形態が庭全体を抱いて立つ
銀閣の背後にある「月待山」
峰の線とあきらかに対応しているとみる。

月待山から登る月の明かりで
“ 銀沙灘 ”が湖となり、
“ 向月台 ”の頂上が満月と なって輝き、
地上から照らし返す幻想的な意味を
込めたというのが太郎さんの分析だ。


















展望所から見下ろした“ 銀沙灘 ”
右手にあるのが
 東求堂
(とうぐどう)である。

東求堂
桧皮葺き の現存する
最古の書院造りで、

草庵茶室のルーツと なった
四畳半間取りになっているという。


















実は観音殿屋根葺き替え
   耐震工事が行なわれている。
一層の「心空殿」(しんくうでん)は、
障子なども取り外されていた。
この2月の完成に向けて進められていた。




















鳳凰は東を向いて置かれている。
羽ばたくというより遠くを見据えるよう。
観音殿の観音菩薩を
 絶えず守り続けているのだ。


鳳凰って財布から飛び立つときが。
一万円札の裏を飾るのは、
平等院 鳳凰堂の屋上にある鳳凰。

ジュースを買う時にも
鳳凰が必要なことがありますね。
10円玉の裏に刻まれているのは、
こちらは平等院 鳳凰堂そのものだ。


いずれにしても鳳凰は守ろう
心がけた方がよいのかも知れない。