江戸のデリバリー⑨ 飴売り


《飴売与太郎 市村羽左衛門》
 歌川国明


大阪のおばちゃんは
いつも飴を持っている。
でも…飴の消費量は、
多くないそうです。.
飴が身近になったのは、
江戸時代と言われています。
徳川吉宗甘藷の苗を、
琉球から取り寄せ、
諸藩に製糖技術の
伝播に努めたそうです。

『三十二番職人歌合』
《十四番 糖粽売 地黄煎売》


室町時代編纂の
『三十二番職人歌合』。
右は曲物に入った糖を、
二本の箸で粽に塗布する
行商人の姿。
「地黄煎」は薬とされた
ジオウの煎汁に、
次第に飲みやすいよう、
水飴を加えて売られました。

《近世流行商人狂哥絵図》より
 お駒飴


近世流行商人狂哥絵図は、
江戸時代後期の読本作者、
曲亭馬琴(きょくていばきん)が
江戸時代の行商人の姿と
売り声を記したもので、
1835年(天保6)に刊行。
飴売り以外にもいろいろと…

《近世流行商人狂哥絵図》より
 飴こ買いな飴


「一文子や二文子じゃ
 踊りこがねえ」と売り声、
一文や二文の飴を
買っても踊らないよ の意。

『飴売り土平伝』より
 舳羅山人 著 、春信 画


土平飴売は飴売の中でも
よく知られた商人。
明和年間(1764-1772年)に
江戸の町に現われたとか…
奥州の出身、五十歳余とも。

《近世流行商人狂哥絵図》より
 三吉飴


「あまい」という味はの
探究心は鑑真和上
土産物として持ち込んだ
砂糖よりもさらに遡り、
たとえば渋柿は干すと
甘くなる…
『枕草子』にある甘葛
抽出し精製して甘味料に
使っていたのです。

《近世流行商人狂哥絵図》より
 粟の岩おこし売り

飴の文化は上方で発展、
お酒も同じですが、
江戸で “下りあめ“
大いに珍重されました。
大阪 攝津の「平野あめ」や
京都 東福寺門前の
菊一文字屋は有名でした。

『群蝶画英』より飴屋
 英一蝶 筆 、 鄰松 画


一昔前まで飴細工というのが
ありましたね。
飴が軟らかいうちに成型、
干支の動物などの細工、
ナメル飴からミセる飴へ。

《飴売渦松》
 一英斎芳艶 画 
1861年

江戸の飴店は看板には、
かならず渦巻の絵、
行商の飴売りも渦巻
扮する市村羽左衛門
替紋は渦巻だそうで、
飴屋の商標との符合が
粋な絵面でもあります。

《飴売与太郎 市村羽左衛門》
 歌川国明

西国では特権の由来は、
天皇と天皇家周辺に
結び付けらていましたが、
その後の大名たちは、
偽文書があったにも関わらず、
そのまま認め「職人」
特権を承認していました。
なぜ…

『一蝶画譜』英一蝶 原画

「泣く子に飴」「飴とむち」
相反することを御するとして
知られていますね。
おそらく…風変わりな格好、
自由往来の特権で飴屋に
情報を集めさせていたのかも

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