江戸のデリバリー⑤ 天ぷらは上方より来る


《風俗三十二相 むまそう》
 月岡芳年 1848-1855年(嘉永年間)

江戸では天ぷらといえば
魚に限った呼び名だったとか、
野菜を揚げた料理を
上方では「あげもの」
江戸では「胡麻あげ」と区別
してたのだそうです。
艷やかな女性が
箸で持ち上げたのは、
鱚の天ぷらです。

《しん板猫のそばや》より
 四代 歌川国政

江戸の四大名物料理は、
そば・うなぎの蒲焼・

天ぷら・握り寿司
関東風の濃い味を好む味覚
大きな影響を与えたのは、
いわゆる濃口醤油です。
地廻り醤油の濃口醤油は、
関⻄のより小⻨を多用、
鰻の蒲焼きのタレ
こってり味となり、
「てんつゆ」もできたのです。

《園中八撰花・松》
 歌川国芳
弘化末1847年頃

杜甫の『飲中八仙歌
当世風美人に置き換えた団扇絵。
故事をモチーフに美人や役者に
いわゆる「見立て」たもの。
団扇は消耗品ですから、
ほぼ現存は版元の摺り残し。
涼しげな紺の着物に、
夜風に揺れるおくれ毛、
そして黒い松影…
夏になればこんな風情を
味わいたいものですね。

《近世職人尽絵詞》
 鍬形蕙斎 画
1807年ごろ

詞書きには「うるまいもの、
あぶらに、あけたるも候、
たこの入道に、うとむのこの、
ころもきせたるも、候そ」と。
肩手ぬぐいの女性や手掴みで
食べている丁稚小僧…、
二本差しの武士は顔手ぬぐい。
武士が大道での立ち食い、
自粛のお達しがあったのやも。

『江戸久居計』

 一恵齋芳幾 画 1861年

天麩羅を庶⺠の口するのは、
天明年間 (1781-1789年)から…、
天ぷら は油と火を扱うので、
当時はほとんどが屋外営業。
屋台の天ぷら屋にのお客は、
丁稚や武家屋敷の下男たち
高級品として扱われるものでは、
ありませんでした。

『江戸春一夜千両』
北尾政演 画 1786年

いわゆる「上方てんぷら」は、
慶⻑年間(1596〜)に
京都で広がったそうです。
タネは野菜が中心で、
油はゴマ、大豆、綿実など
植物系のものが使われました。

《吉原十二時絵詞》1861年写
 鍬形蕙斎 画 山東京伝 詞

吉原の一日を辿った絵詞には、
胡麻揚」と見えます。
《風俗三十二相 むまそう》
天ぷらを見ると…かなり
ツルリとしています。
昨今の天ぷらは冷水を使って、
あまりかき混ぜないように…
グルテンの形成を程よくにして、
衣を仕上げることのようです。

こちら天ぷら一宝 東京店
上方 天ぷら
大阪にある本店の
ご贔屓筋の歌舞伎役者さんが、
東京でも食べれたらなぁ〜!
という後押しもあって、
銀座に店を構えられています。
出汁には那須山系の天然水
天ぷら油は極上の紅花油

雑誌『プレジデント』
「人に教えたくない店」という
シリーズで紹介されたお店。
東下り😁で再び味わえる日を
楽しみに(・ω・)v

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